(『祝福家庭』68号)
【第3祝福】「主管性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「自由と責任」に関するみ言(2)

 愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界では、その愛の関係がすべて繁殖を前提にして初めて成されます。しかし、人間だけはその例外です。人間は夫婦の愛の関係を自由に享受します。これが万物の霊長たる特権です。神様は息子、娘である人間が無限の愛の喜びをもつように祝福しました。
 神様が許諾した真の自由は、責任性を前提とします。もし、責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張し、実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を求める人間は、愛に対する責任性をもつときに完成が可能なのです。
 その責任性は次の三つとして考えられます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修練、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく、神様との生命的、縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。
 第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、相対から来る自分への愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられればもはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。人には絶対に自分の相対のために生きるべき愛の責任性があります。
 第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は、父母の愛です。
子女たちは真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的な要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。
(『文鮮明先生御言選集』第277巻200頁、1996・4・16)