(『祝福家庭』68号)
【第3祝福】「主管性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「自由と責任」に関するみ言(1)

 原理を離れた自由はありません。統一教会では、既にそのような観点からすべて分析して規定しています。原理を離れた自由はないのです。御飯を食べるべきときに御飯を食べない、それは自由ではありません。空腹です。副作用が起きます。継続すれば自分が破壊されるのです。ですから、原理原則を離れた自由はありません。
 また、自由には責任があります。自分が行動することに責任をもった以上、自分の行動を中心として、それを全体が見るときに尊敬できなければなりません。そして、自分が行動することには善の実績が残らなければなりません。ですから、原理を離れた自由はあり得ず、責任を避けた自由はあり得ません。そして、行動すれば必ず善の実績が備えられなければならないのです。
(『文鮮明先生御言選集』第182巻111頁、1998・10・16)


 自由は、実に創造主から受けた最も貴重な贈り物の中の一つです。人間は自由な精神的存在として創造されました。しかし、人間は自由な存在として創造されたと同時に神様から責任も賦与されました。自由は自己規律と自己抑制を必要とするからです。自由は法則を離れて存在することはできません。
 神様は創造主として自ら創造目的を定め、精神的法則を定められました。私たちは、創造主が定めた人間の根本的な目的を成就するために、この地に存在しています。人間の精神的幸福は、人間が神様の定められた道徳律に従って個人としての責任を果たすことによって、増進するようになっています。人間がこの法則に違反すれば、自然の法則に違反するときと同じように、自分の破滅を招いてしまうのです。
(同 第133巻289〜290頁、1984・11・19)