歴史と世界の中の日本人
第18回 竹鶴政孝
国境と異文化を超えた挑戦者

(YFWP『NEW YOUTH』172号[2014年10月号]より)

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
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 今秋(2014年)始まったNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」は国際結婚をした日本人男性とスコットランド人女性のカップルを主人公としたドラマだ。朝ドラとしては史上初となる純外国人のヒロインの誕生で話題を呼んでいる。

 ドラマのタイトルにもなっている“マッサン”こと主人公、亀山政春は、大正時代の日本でウイスキーづくりに情熱を燃やす酒屋の跡取り息子である。

 ドラマはフィクションとして制作されているが、本作のモデルとなったマッサンは、ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝(1894~1979)とその妻リタである。

▲竹鶴政孝の胸像・ニッカウヰスキー北海道工場内(ウィキペディアより)

 竹鶴政孝がスコットランド人女性リタと結婚したのは、1920年のこと。
 政孝は、ウイスキー誕生の地、スコットランドに単身乗り込み、本格ウイスキーの製法技術を日本に持ち帰った。

 後年、英国のヒューム氏(後の英国首相)が来日した際、「万年筆一本で、わが国のウイスキーの秘密を盗んでいった青年がいた」とユーモアたっぷりに称賛した。

 ウイスキーと言えば、サントリー創業者の鳥井信治郎が有名だが、1923年、大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画し、社長の鳥井がスコットランドに適任者がいないか問い合わせたところ、「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴という適任者がいるはずだ」という回答を得たという。

 古来、日本人はものづくりにおいて非凡な才能を発揮してきた。近代以降、日本人のものづくり、技術力は国際舞台においてもその底力を見せている。
 たとえオリジナルでなかったとしても、環境や文化の違いを超えてそれを再現し、あるときはオリジナル以上のものをつくり出してきたのが日本人であった。

 グローバル化の進展とともに世界は大きく変わろうとしている。
 日本人には、異文化を受容・理解し、さらにはそれを超えた新しい世界文化をつくり出していく使命があるのではないか。

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 次回(12月3日)は、「未踏の境地を開いた挑戦者」をお届けします。