2023.12.25 17:00
12月26日に、梶栗玄太郎・第12代会長の聖和11周年を迎えます。
そこで今回、梶栗会長の生涯と功績をご紹介いたします。
梶栗玄太郎(かじくり・げんたろう/1937~2012)会長は、日本の世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合/以下日本統一教会)の第12代会長です。
日本統一教会の草創期から教会の基礎を築き、統一教会の要職を歴任。
会長就任後は、日本統一教会の社会的評価や信頼を高めていくために教会の組織強化を図り、牧会者および信徒の信仰指導、後輩たちの育成のために尽力されました。
真の父母様より「忠臣奉天」の称号を贈られています。
理想世界ができるんです!
1963年のある日、梶栗玄太郎氏が当時務めていた会社の部下が一生懸命伝道しているのを見かけた。
話を聞かない相手に「聞いてやれよ」と声を掛けると、次は自身が話を聞くことに。
部下の「理想世界ができるんです!」という言葉に、「そんなばかな」と梶栗氏は内心思った。
しかし「理想世界」という言葉に興味をもち、原理を聞く約束をした。
神とサタンの奪い合い
急に出張が決まったのは、その矢先だった。
豪華絢爛(けんらん)たる接待攻勢を受けたが、そのたびに「原理を聞く」という約束が思い出され、「早く行かなければならない!」と心が叫んだという。
「あれは、神とサタンの奪い合いだった」。後になって梶栗氏はそう思った。
サタンは最大の武器を使って、梶栗氏が原理の道へ行かないようにしたのである。
その一方、梶栗氏には約束は必ず守るという癖があったので、神様が「早く行かなければならない!」と梶栗氏の良心に語り掛けたのだ。
今がその時である!
一週間後、梶栗氏は出張から帰った直後に教会を訪問した。
終末論から始まり、毎日一つずつ原理講義を聞いた。
メシヤ論を聞いた時、梶栗氏は泣いた。イエス様がかわいそうだからではなく、人間の弱さに泣いたのだ。
「自分だったら、絶対に逃げない! そこで死んだに違いない!」
試練に負けて逃げた十二弟子のふがいなさに悔しさと憤りを感じた。
その言葉が、今度は梶栗氏自身に返ってきた。
「今が、その時である!」
心が叫んだのだ。
ここで、神様に捕まってしまった。
ここに残るんだね
1996年、真のお父様(文鮮明総裁)から南米に来るように言われ、ブラジル・ジャルジンに向かった。
その道中、梶栗氏はブラジルの景色を見ながらどのように開発するか考えを巡らせた。
お父様に感じたままを報告すると、「きみは土木だね。ここに残るんだね」と言われ、南米で歩むことに。
ちょうど、60歳の還暦を迎えた時だった。
日本統一教会 第12代会長 就任の決意
梶栗玄太郎会長は2009年7月14日に行われた日本統一教会の会長就任式で次のように語った。
「このたび私に統一教会の会長という話を頂き、正直申し上げて、青天の霹靂でありました。
なぜ、また私のような者を天が用いられるのか、何か天の事情があるのだ…と思い、ただただ涙が流れました。……
私は以前、モーセからこのような啓示を受けました。
『前に進んでいけ。その時に必ず横から、サタンが日本刀を持って斬りつける。真っ二つに斬られても、なお前に進め。そうすれば勝つ!』
相手を斬るのではありません。斬られても前に進むのです。
これはまさに、『怨讐を愛せよ』『汝の敵を愛せよ』ということです。
これから前進いたします。これが私の就任の決意です」
車椅子での全国巡回
2012年3月の真のお母様(韓鶴子総裁)ご来日の際には、全国巡回をされるお母様に車椅子で同行した。
また同年秋に医師から余命4カ月と宣告されたが、首都圏などを巡回して説教や信仰指導をするなど、最後まで教会の組織強化、後輩の信仰育成に尽力された。
よく侍ってから来るように
2012年9月、真のお父様の天宙聖和式の翌日の朝方に真の父母様の夢を見た。
夢の中でお父様は、「今は霊界に来たら煩わしいから、君はまだ来ないでね」と語られ、さらに「真のお母様によく侍ってから来るように」と言われたという。
命を懸けてみ旨をやります
「もし許されて、基元節まで生かしていただけるなら、私は命を懸けてみ旨をやります」
真のお父様の聖和後、真のお母様の前でそのように決意表明をすると、お母様は「短くてはっきりしていて、とてもいい」と語られた。
梶栗玄太郎会長の聖和
梶栗玄太郎会長は2012年12月26日に聖和された。
帰歓式は2012年12月27日、聖和式は12月28日に東京・渋谷の松濤本部で行われた。
聖和式では梶栗会長のこれまでの業績に対して特別功労牌が授与され、真の父母様から梶栗会長に「忠臣奉天」の称号が贈られた。
15年間に及ぶ闘病生活と這いつくばるような歩み
梶栗会長の長男の正義氏は、聖和式での家族代表あいさつで以下のように証ししている。
「思えば、父が還暦の60歳を迎えた時に心臓発作を起こしてから15年間。そして66歳の時にがんの宣告を受けて9年間という闘病生活を送ってきました。
体が自由にならない、そんな中で這いつくばるような歩みをしておりました。
そのような中で会長の任務を承りました後には、『ようやく、死に場所を見つけた』、そんな思いで必死に責任を果たそうとしている様子でした。
心臓の主治医からは、『あんたの心臓は普通の人の半分から三分の一しか動いていないんだから、食べるだけでも、目の前の人と話すだけでも、心臓に負担がかかるんだよ』と言われていました。
しかし、登壇すれば大声を張り上げ、心臓に負担をかけながら講演を続けました」
(参考:『わが、「善き闘い」の日々』、『Today World Japan』、中和新聞、U-ONE TV)
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【梶栗玄太郎会長街頭演説】
日本よ、再び蘇って世界のために生きよ!
【シリーズ 会長メッセ―ジ】
第4回「現代の宗教迫害を乗り越えて」
第5回「今後の東アジアと日本の針路」
第6回「日米関係と日本の生きる道」
第7回「これからの3年は天下分け目の分水嶺」
第8回「世界平和はいかにしてなされるのか」