私の心の中にいる神様 42
痛みを軽くし平安に導かれる祈り

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

痛みを軽くし平安に導かれる祈り

 私は1982年に伝道されて以来、長く公職に就いています。
 教会員と接する中で、祈りについて課題を抱えている人が多いことに気が付きました。

 「祈りが苦手」というかたに「どんなお祈りをしていますか?」と聞くと、「ひたすら一生懸命、お願い事をしている」というかたが多いのです。

 それは悪いことではないと思いますが、神様の責任分担と人間の責任分担があり、人間が5パーセントを果たしてこそ物事は成就していくのですから、お願い事をすると同時に自分の責任分担を悟って実践していかないと、お祈りが空回りするだろうなとも感じます。

 また、責任者やスタッフのかたは、むしろお願い事をしてはいけない、自分自身のことを祈ってはいけないと強く思っている傾向があるように感じました。そういうかたは、心情が下がったときほど祈れなくなるという状態に陥りがちです。

 こうした話を聞きながら、お祈りについてもっと共に学ぶ機会があればいいなあ、お祈りが変わると人生そのものが変化するのだから、と思うようになりました。

 そういう中、6年前に自己牧会プログラムに出合いました。そこで取り組む「ワーク」は「小さなお祈り」であり、「こういうときにはこういうふうに、心の中の神様に尋ねたらいいよ」と細やかに教えられました。“目からうろこ”の内容ばかりでした。

 例えば、「自覚を取り戻すワーク」の中で、自分の感じていることをそのまま実況中継して客観視していくという内容があります。

 心に何か痛みを感じているとしたら、それをそのまま感じてみるのです。それも一つの祈りの形であり、それをするだけで痛みが消えていく場合があります。

 外的に何かが変化するわけではなくても、心の痛みや悲しみが消えて平安が得られるということが、実際に起きるのです。
 そういう例をたくさん見てきましたし、私も体験しました。

 ある時、夫婦げんかをよくするという婦人からこういう相談を受けました。

 「夫とけんかをすると、1カ月くらい口を利かなくなります。その期間は祈れない、感謝も悔い改めの祈祷もできないんです。そういうときは、泣きながら掃除機をかけています」

 そこで私は、「神様の前に、思っていることをそのまま祈ったらどうでしょうか」と提案しました。
 すると彼女は驚いて、「思っていることをありのままに祈ってもいいのでしょうか」と聞くので、「大丈夫です、神様は全てご存じですから」とお答えしました。

 その後、その婦人は夫とけんかした時、私が言ったことを実践してみたそうです。2時間くらい夫への不満を訴えて、どうしてこういう人と祝福を受けたのかまで、率直に祈ったそうです。すると、だんだんと楽になってきたというのです。

 それで改めて「どうしたらいいですか」と尋ねると、「夫の生い立ちを考えてみなさい」という良心の声を感じたのです。

 彼女の夫は、親の愛情をあまり受けることができずに育ってきました。ですから、人の気持ちを推し量るのが苦手で、人を傷つけるような言葉を不用意に発する傾向がありました。

 彼女は、「もし同じ境遇だったら、自分もこうなっていたかもしれない」と思い、知らないうちに「夫を愛します」と決意表明していたそうです。

 それまでは1カ月くらい引きずることもあったようですが、その日の夜は夫を笑顔で迎えることができたと報告してくれました。

 自己牧会プログラムでは、それぞれのワーク(祈り)を通して心に尋ねれば、私の中の神様である良心がその解決法を教えてくれると説いています。

 この良心との対話は、特別な人だけができるのではありません。どんな人でも体験できます。ただ、そこに至るためにはこつがあるのです。それを分かりやすく体系化して説明しているところが、自己牧会プログラムの素晴らしさだと思います。

(男性 50代)

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 次回(11月14日)は「自己牧会プログラムは真の父母様の教えの実践法」をお届けします


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