2020.11.02 17:00
『平和の母』読者の声 47
今は「人類の涙をぬぐう平和の母」が必要だと感じた
このコーナーでは、真のお母様(韓鶴子総裁)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』を読んだかたがたの感想を随時ご紹介してまいります。
4月に開催された「感想文コンクール」で佳作に選ばれた作品25点を順次ご紹介します(文責:編集部)。
最優秀賞6点は『世界家庭』2020年7月号、優秀賞9点は『祝福家庭』2020年夏季号で紹介しています。ぜひ、併せてご覧ください。
今回は、50代・男性の佳作受賞作品をご紹介いたします。
今は「人類の涙をぬぐう平和の母」が必要だと感じた
今年2月に行われたワールドサミット2020に参加し、大変貴重な時間を過ごすことができました。
その際、文鮮明総裁聖誕100周年および聖婚60周年のイベントの中で韓鶴子総裁の自叙伝をいただきました。
しかしそれは韓国語版でしたので写真の部分しか見ることができず、いったいどのような内容なのだろうと思っていたところ、このたび日本語版が出版されたとのことでお贈りいただき、ありがとうございました。ようやく内容に触れることができました。
これまで文鮮明総裁の歩みに触れる機会はありましたが、韓鶴子総裁の歩みというものには触れる機会があまりなく、興味深く読ませていただきました。
この本を通して感じたことは、神様は「天の父母様」である、という考え方です。
「天の父」とか「父なる神」という言葉は聞きますが、「天の父母」という言葉は他では聞きません。
しかし人間に男性と女性があり生物に雄と雌があるのですから、創造主である神様に男性格と女性格があるのは、考えてみれば当然かもしれません。
そして神様と人間が親子関係というのであれば、神様は「天の父母様」である、ということになると思います。
これまで女性格を前面に表した運動としては、西洋社会で起こったフェミニズム運動がありますが、これは男性の支配に対する単なる革命運動のようになってしまっており、女性格が必要だということの意味の本質を捉えていません。
男性と女性を対立関係として捉える考え方は、人間同士も対立関係として捉える考え方につながります。現にこれまでの人類歴史は対立・闘争の歴史であったとも言えます。
一方「人類一家族世界」という考え方によれば、人間同士も対立関係として捉えるものではなくなり、人類歴史にも「平和」という概念が生まれます。
そこでは人間は兄弟姉妹ということになりますが、それには父母が必要です。しかし神様は目に見えません。そこで実体的な人類の父母が必要になるのだと思います。
混沌とした時代を切り拓いていく時には「父」が必要ですが、平和を確立していく時には「母」が必要だと思います。そして、人類の「母」は人類の対立・闘争の歴史によって流された涙をぬぐう立場になります。
この本を読んで、今は「人類の涙をぬぐう平和の母」が必要だということを感じました。