『平和の母』読者の声 45
真のお母様が涙で誓われた決意を私の決意とします

 このコーナーでは、真のお母様(韓鶴子総裁)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』を読んだかたがたの感想を随時ご紹介してまいります。
 4月に開催された「感想文コンクール」で佳作に選ばれた作品25点を順次ご紹介します(文責:編集部)。
 最優秀賞6点は『世界家庭』2020年7月号、優秀賞9点は『祝福家庭』2020年夏季号で紹介しています。ぜひ、併せてご覧ください。

 今回は、58歳・男性の佳作受賞作品をご紹介いたします。

真のお母様が涙で誓われた決意を私の決意とします

 「どのようなものを犠牲にするかも大切ですが、それが何のための犠牲であるかが、より重要なはずです。
 ……何のために、誰のために犠牲にならなければならないのか……。まだはっきりとは分かりませんでしたが、その日から「犠牲」という言葉が、私の中で一つのテーマとして刻まれました。あとから考えてみると、「犠牲」とは、平和の母として生きるべき私のもう一つの名前だったのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』97~98ページ)

 この一節が、この本を読んで一番心の中に残ったフレーズです。

 この箇所は、真のお母様が数えの14歳で真のお父様(文鮮明総裁)に初めてお会いになった時、「韓鶴子、これから犠牲にならなければね」(同97ページ)と真のお父様から言われたことに対して、まだ少女だった真のお母様が「真の犠牲とは何か」と心に抱かれた時の内容です。

 その箇所を読んだ時、私の少年時代のことを思い出しました。
 私が小学5年生と6年生の時の担任の先生の口癖は、「人は他人のため、社会のために生きなければならない」でした。
 世の中のために生きることの素晴らしさを、偉人の話などを題材に話してくださいました。
 先生の話を聞いて、私は幼いながらもその言葉に素直に感動し、「大人になったら世の中のためになる人間になろう」と考えていました。

 しかし中学生になった頃から、自我に目覚めた私は「為に生きる」と言いながら「自分のことしか考えていない自分」を見たり、世の中も戦争が絶えないのを見たりして、いつしか次の三つの疑問を持つようになりました。

 「なぜ、人は為に生きなければならないのか?」
 「なぜ、人は為に生きられないのか?」
 「この世の中で最も為に生きているかたはいったい誰だろうか?」

 これが10代前半から抱いていた私の人生のテーマでした。

 そんな私が、ちょうど20歳の時に統一原理に触れ、真の父母様(文鮮明・韓鶴子総裁夫妻)に出会うことができました。
 そして、この三つの疑問が全て解けたのです。

 真のお父様が15歳の少年期のイースターの日に猫頭山(ミョドゥサン)で祈っておられた時にイエス様と出会われ、ぼろ雑巾のようなかわいそうな神様の心情に触れこの道を出発されたように、私も原理を学び、また真の父母様の生涯路程に触れることを通して神様の涙の心情に触れ、この道を歩む決意をして出発しました。
 それから、もう38年の年月がたちました。

 真のお母様は真のお父様の聖和後、「責任分担を果たしなさい」と私たちを鼓舞してくださっています。
 私たちが責任分担を果たすことによって天国を建設するだけでなく、その天国に入るにふさわしい天国人になるようにしてくださるためだと理解しています。

 しかし私は、最近あまりにも天が願う責任分担を果たせず、大きな壁にぶつかっていました。

 そんな中、今回真のお母様が出版してくださった自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』は、私たちが「責任分担」を果たすため、勝利された7年路程の「勝利の秘訣」を書きつづってくださった「責任分担を全うするための指南書」であり、また私たちが天の父母様(神様)の真の子女として天一国に入籍するにふさわしい「天一国国民となるための道標」と言えます。

 霊界に行くと「神様からの三つの質問」をまず受けるという話を聞いたことがあります。
 「あなたは、何のために生きてきましたか?」
 「あなたは、誰のために生きてきましたか?」
 「何を残して来ましたか?」

 この質問に対する正しい回答を導く内容でもあり、今回この自叙伝を通して一番私が学んだことが、「犠牲の真の意味」です。
 「犠牲になること、為に生きることは大切ですが、それが何のための犠牲であるか誰のための犠牲なのかをいつも忘れない」ということです。

 真のお母様は、「私は幼い頃から徹底して信仰を育んできましたが、その中で、胸に秘めた夢がありました。それは、人類を救うために歴史を導いてこられた神様の恨(ハン)を解いてさしあげること、歴史の箍(たが)を解いて自由にしてさしあげることでした」(同102ページ)と語っておられます。

 とかく長く歩んでいると、いつの間にか動機が神様ではなく自分になってしまいます。
 常に真の父母様の歩まれる原点に帰る必要があります。

 また原理を知っていると高い立場でものを言うようになってしまいます。
 「人の上に君臨して安穏とする場では、決して神様に出会うことができません。神様は、自分よりも苦しんでいる人のために黙々と動く場に、訪ねてこられるのです。より低い立場に立って、神様のみ意(こころ)と恨に思いをはせる時、その神様が訪ねてきてくださることを、私は既に分かっていました」(同102ページ)

 また真のお母様は、「真の愛の人とは『自分がない人』です」(同298ページ)とこの本を通して私を諭してくださいました。

 そしてもう一つ意識させられたのが「天が準備した義人を探すこと」です。
 真のお母様が「神様は、私が行く先々で、多くの義人を準備してくださっていました。国と民族を超え、どこに行こうと、義人が待っていたのです。ですから私は、信徒に対しても、天が準備した義人を探しなさいと話しています」(同296ページ)と言っておられるように、今回の7年路程を勝利に導いた大きな要因である「義人復帰」。これをもっと意識しながら歩むことが必要であると強く感じました。

 この二点のことを意識しながら、真のお母様が真のお父様の聖体の前で、「命が尽きる日までに、天一国(てんいちこく)をこの地に安着させる」と涙で誓われたこの決意を私の決意として、新たな7年路程を出発いたします。
 ありがとうございました。

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