「幸せな結婚」を考える 58
第11章 結婚と純潔
⑥切り離された「愛」と「性」(2)

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 第4弾は、『「幸せな結婚」を考える』を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

ナビゲーター:長岡 高史

 前述したとおり、男女間においては、愛と性はセットなのです。決して切り離すことはできません。男女が愛し合うならば、その先の性的な結合(セックス)も必然となります。そして性的結合の先には生命があるのです。すなわち男女の愛には「生命」という責任が伴うのです。

 しかし、当たり前のようなこの事実が無視されています。偏った性知識のまん延は、「大人」ではなく、「青少年」に牙をむきます。成長途中の彼ら、彼女らは、無責任、無節操に流される性情報によって、性的結合こそが最高の喜びであると錯覚してしまいがちです。その先にある責任までは考えが及ばないのです。

 「望まれない妊娠」という悲劇があります。
 ある女子高生は彼氏から「好きだ」と迫られて性関係を持ったといいます。ところが、ある日、妊娠が分かって彼に相談すると「中絶とかよく分からないから、自分で決めて」と言われたとのこと。彼女が中絶手術をした日、彼は友達と遊びに出掛けていたといいます。

 性行為においては、男女は平等ではありません。責任のない性行為のリスクは全て女性が背負うのです。妊娠のリスクを背負うのも女性、中絶の精神的、身体的負担を強いられるのも女性、出産の際の妊婦死亡のリスクを背負うのも女性、出産後、子育ての負担がかかるのも主に女性なのです。

 「性関係を持つ」ということは、その先に生まれてくる命に責任を持つことが必要なのです。知識だけを伝えて、「後は自己決定」では、あまりにも乱暴ではないかと思うのです。