2020.10.12 22:00
自叙伝書写 感動体験集
第57回 かたくなな娘婿の劇的な変化に驚いています!
私の娘は、夫(娘婿)と16歳の男の子と14歳の女の子の4人家族です。以前、娘婿の両親と同居していましたが、2年ほど前に親元からは出ています。
職人の家庭で、良く言えば気丈、悪く言うと筋金入りの頑固者、他人と上手に関わることが苦手で、「信じられるものはお金! 頼れるものはお金!」という感じで、お金に執着する娘婿でした。
妻子に食べさせるための生活費も出し渋り、「今月は稼ぎが少ないから」と減らされる一方で、少ない生活費の中で工夫して食事を並べている妻の目の前で不機嫌な態度ばかり。そんな父親が一緒にいたのでは子供たちも楽しく食事をすることができず、「おいしいね」「もうないの」「おかわり」、なんて言葉は全くなかったと娘は言っていました。
娘婿は釣りが趣味で、道具は一級品、時には釣り仲間と東北や北海道まで泊まり込みで出掛ける人で、自分のためにはいくらでもお金を使う人でした。
家族だんらんとか、子供の喜ぶようなことなど何一つできない人でした。
そういう父親に子供たちは距離を持つようになり、親子の会話は全くなくなった状態で、出てくる言葉といえば、一方的な愚痴と罵声、叱る言葉ばかりで、普通の口調で話をすることのできない人でした。
そこで私は毎月の書写の願い事に、「認め合い、理解し合える関係の成立を」と、娘夫婦の家族のために書き続けました。
今年5月初め、最初の喜びの知らせが飛び込んできたのです。初めは信じられませんでした。
娘婿が「連休、どこかにドライブでもしようか」と家族を誘い、新潟の水族館へ行ったのです。日本で五本の指に入るくらいの大きな水族館で、その後、海まで足を延ばしたそうです。
帰りには物産館に寄ってお土産を買い、会計をしようとしたところ、旦那さまが自分のポケットからお財布を出し、「これで払えば」と娘に渡してくれたそうです。
本当に驚きました。
娘夫婦は結婚生活18年の間、ただの一度も家族で出掛けるということなどなかった家庭でした。それが帰り道、私の家に寄ってお土産を置いて帰ったのですが、事の流れを話してくれた娘の顔はうれしさでいっぱいでした。とにかく第一声が「今日すごく不思議な事があったのよ!」でしたから。
また、娘婿は妻を外へ出したくない性分で、娘は友達とお茶や食事に出掛けるということなどできない状態でした。先月、昔勤めていた仕事仲間から食事の誘いの電話を受けている最中、旦那さまがポロッと一言、「行ってくれば」。あり得ない態度に、正直戸惑ったと言っていました。
この日は気持ち良く家を出ることができて、楽しい時間を過ごし、最終電車で帰ったそうですが、電車の中で楽しかった友達とのメールに夢中になり、気付いたら、降りなくてはならない駅より二つも先の駅に来ていて、慌てて飛び降りたそうです。田舎で回りは真っ暗、どうしようかと思っていたところ、旦那さまからのメール!
今までメールのやり取りなどしたことのない仲です。叱られることを覚悟でメールを開いたら、思いがけず、「遅いですね。お迎えに行きましょうか」とのこと。叱られることもなく、気まずい雰囲気など全くなく、素直に喜びを伝えることができたそうです。
それ以来、娘は友達から誘いを受けると、出掛けられるようになったのです。夜、娘が出掛ける時など、旦那さまが二人の子供に向かって、「おーい、今日お母さんが出掛けるから寿司食いに行くぞー!」「焼き肉食いに行くぞー!」と言って三人で出掛けるのだそうです。楽しそうに出掛ける姿がすごくうれしいと言っていました。
そしてもう一つ、喜びのエピソードを紹介させてください。親子の交流や会話がほとんどない家庭でしたが、ある時、お昼寝をしていたお父さんを二人の子供がゆり起し、「買い物に連れて行って」とおねだりをしました。今までのお父さんなら不機嫌この上なく、そばにも近寄れない雰囲気になる人が、ニコニコ顔で、「また俺にたかるのかよ」と言いながら、楽しそうに三人で買い物に出掛けたというのです。
またある時、孫の男の子(娘夫婦の息子)が白いズボンが欲しいと口にすると、「ズボンのおねだりだって!」とうれしそうに二人で出掛け、帰って来るなりうれしそうに「一万円もかかったよ」と報告してくれたそうです。ズボン一本の予定が、それに合わせて上着と靴までそろえてくれたというのです。
とにかく、娘婿の変わりようには驚いています。以前の娘は旦那さまに対して恐怖心が強く、思うように言葉が出ない状態でしたが、今は何の警戒心もなく、自然に振る舞えるようになり、表情も明るくなりました。孫たちも会話の中に、「お父さんが、お父さんが」という言葉が出るようになり、私はこの上ない喜びを感じています。
娘が先日、「お母さん、今の穏やかな生活、夢じゃないかと時々思うの。夢ならずっとさめないでほしいと思うよ」と言っていました。
皆さまの家庭では当たり前のことかもしれませんが、このようなことは娘の家庭では奇跡であり、このような生活が感謝であり、感激であり、大きな喜びなのです。