『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 13【最終回】

ひたすら前だけを見つめて歩む

浅川 勇男

 「平和の母」シリーズ第2弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」をお届けします。今回が最終回となります。

 「人生は、いつ終わるか分からないマラソンを走るようなものです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』316ページ)と平和の母、韓鶴子夫人は語られています。

 オリンピックなどのマラソンはコースが決まっており、到着地も明確です。
 またスポーツのマラソンは一人で走るので、自己管理さえしていれば、なんとか走り切れます。

 しかし人生のマラソンは、人によってコースも異なり、目的地が不明確です。家族の人生マラソンは、夫婦、親子が片方の足を縛って走る二人三脚のようなものです。しかもそのコースには、障害物満載です。経済的障害、健康障害、人間関係障害の連続です。

 曲がりくねっていて、でこぼこだらけで、ぬかるみが多く、落とし穴が至る所に潜んでいます。途中、落伍させようとする罠が張り巡らされています。

 そのため、人生の目的地が明確で、生きる動機がはっきりしていて、いかなる困難も克服して前進するという決意がなければ、途中で中断停止してしまいます。諦めて、後ろ向きの人生になってしまうでしょう。
 さらに夫と妻の目的地が違っていれば、走ることさえできません。

 このように、家庭の人生マラソンを走り抜くだけでも大変なことなのです。
 文鮮明先生と韓鶴子夫人は、自分たちの幸せな家庭をつくるためではなく、世界平和と神の悲しみの解放のために聖婚されました。

 文鮮明先生夫妻は、人類の真の父母になるために結婚されたのです。最も難しい難所だらけのマラソンコースに挑戦し、世界平和実現のために夫唱婦随で歩まれたのです。

 「文鮮明総裁と私は、神様の祖国光復のために一片丹心の生涯を生きてきました。決して振り返ることなく、ひたすら前だけを見つめて歩んできたのです」(同402ページ)

 201293日、文鮮明先生は数え93歳で聖和されました。

 文鮮明先生は最期の時に、「本当にすまない。本当にありがとう」と言われ、「ありがとう! 頼んだよ!」と、韓鶴子夫人に世界平和の成就を託されました。

 韓鶴子夫人は「何も心配しないでください」と夫を励ましました。
 神のもとの人類一家族世界と地上天国実現、そして神の涙の解放は、いかなることがあっても中断できない天命でした。
 それ故、韓夫人は「中断なき前進」を掲げ、ひたすら前だけ見つめて歩まれたのです。

 「夫の聖和後、み言を地の果てまで伝え、世の中をかき抱くため、私は一心不乱に駆け回りました。口の中がただれて食事もできず、すぐにでも倒れてしまいそうな状態でも、一時も休むことはありませんでした。夫との約束、『必ず私が成し遂げる』という誓いを、常に心に留めながら生きてきたのです」(同403ページ)

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