2020.09.09 12:00
スマホで立ち読み Vol.4
『ダーウィニズムを超えて』(7)
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
統一思想研究院が贈る『ダーウィニズムを超えて~科学の統一をめざして』をお届けします。
ダーウィンの『種の起源』発表から約150年。「進化論」は生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきました。本書は進化論を批判するとともに、「新創造論」としての新たな見地を提言しています。
大谷 明史・著
第一章 進化論を超えて
(二)生物はデザインされたものか
(2)目の問題
次に、創造か進化かという論争において、中心的なテーマになった目の問題を取り上げてみよう。脊椎動物の目のように、複雑な機能と構造をもつものが、ランダムな変化の中から、いかなる自然選択によってできたのか、全く説明は困難である。
ダーウィン自身、「(極度に完成化し複雑化した器官である)目が自然発生によってつくられたであろうと想像するのは、このうえなく不条理に思われる」と率直に告白したのであった。ところが彼は、単純な光感受性のある点(細胞)から洗練された人間のカメラ型の目に至る進路の経路を示すことにより、目が進化によってできたものであると主張した。
しかし博物館で、自動車が年代順に古いものから新しいものという順序で並べられているのを見ても、誰も、走る競争をしているうちに車が進化したとは考えない。車は技術者の絶えざる創造力の投入によって発展したのである。同様に、単純な感光点から高級な目まで並べてみても、それが進化の証拠とはなりえない。実際、目が発展するそれぞれの段階が大きな飛躍であって、段階を示すだけでは進化といえないのである。科学ジャーナリストのリチャード・ミルトン(Richard Milton)も次のように言う。
現代のダーウィニストはたいそう楽観的な考えをもっているようだ。光を感知する細胞といった進化の初期段階における基本的な革新さえ起きてしまえば、視力の累積的選択がいくぶん起こりやすくなるという。しかし光を感知する組織が存在しても、水晶体や虹彩のメカニズムや瞼(まぶた)などに関する突然変異の起こりやすさには何の影響も及ぼさない(リチャード・ミルトン、竹生淑子訳『進化論に疑問あり』心交社、一九九五年、一八六頁)。
しかも生化学者のマイケル・ベーエ(Michael J. Behe)が指摘しているように、単純な感光点が、そもそもどこから来たのか、ダーウィンは説明しようとせず、目の究極的な起源の問題は放り出しているのである。実際、感光点それ自体、単純なものでない。ダーウィンにとってはブラックボックスでしかなかった。それはテレビの複雑さよりもはるかに複雑なものであり、多くの生化学者の研究によって、ようやく視覚の生化学的な構造が明らかになりつつあるのが現状である。目は、自然界がどうなっているかということがよく分かっていて、周到につくられたものであること、したがって目を見れば神の存在を否定できないと、文鮮明師は次のように語っている。
動物世界では、生まれる時に、まず目が最初に生ずるようになっています。目自体は物質です。目は生まれる前から、太陽があることを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。物自体である目は何も知らずに生まれてきましたが、太陽を見られるように生まれたということは、目が生まれる以前から、太陽のあることを知っている存在があったというのです。すなわち、目は太陽があることを知っていて生まれたということになるのです。目自体は、空気があることも、埃(ほこり)が飛び散っていることも、蒸発する輻射(ふくしゃ)熱があることも知らなかったとしても、既にそれらを知っている存在があって、目を守るために、瞼が準備されたり、涙腺をもって防備させたりするのです(文鮮明「真の家庭と私」『ファミリー』光言社、一九九五年一〇月号、七二―七三頁)。
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次回(9月16日)は、「(3)クジャクの美しい羽」をお届けします。