夫婦愛を育む 129
神様の信仰の対象?

ナビゲーター:橘 幸世

 以前に読んだ時には全く気付かなかったみ言(真の父母様の教え)の中に、新しい発見や気付きを経験することは、誰にもあると思います。
 私も先日、本当に驚いた一節がありました。

 「信仰生活において最も問題になることは、信仰の対象、神様です。その次には何でしょうか。信仰の主体である神様は、人を対象としているのです。私たち人間は神様を信仰の対象としていますが、神様は人を信仰の対象にしているというのです」(1972年7月23日/『世界経典Ⅱ』1016ページ)

 ここからは一信徒の私が感じたことですので、全くの見当違いかもしれません。その点はご容赦ください。

 「『神様は人を信仰の対象にしている』と確かに書いてある。読み間違い、解釈の間違いではないよね?」
 私の心の中の問答です。

 神様は人間を信じ続けてこられた…!
 しばらく茫然(ぼうぜん)とした私です。

 神様に信じていただくなど、不足過ぎて受け止めきれないと、なおボーっとしていると、手元にある韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』に目が行きました。

 表紙にある真のお母様(韓鶴子総裁)のお写真を見て「ああ、お母様は神様の信頼を受け止めて、お父様の信頼も受け止めて、責任を担って歩み続けておられるのだ」と思うと、お写真が大きな大きな存在となって映りました。

 神様の信仰の対象は「人」、すなわち真の父母様が神様の信仰の対象だ、とまでは理解しますが、それ以上はすぐには消化できません。

 そうして思い出したのが、真の父母様が責任を果たせない私たちを何度も許してこられたことでした。願われる結果を出せなかった弟子たちに対して、ご自身で蕩減条件を立てられ、また信じて任せていかれました。それを何度繰り返してこられたのでしょう?
 それは一人の親として、自分の子供を信じ抜くことと重なりました。

 翌日、主人にこのみ言について尋ねると、別のみ言の中でこの内容を聞いたことを主人ははっきり覚えていました。

 読み間違いでないことに励まされて、再び祈っていく中で、信仰の対象である「人」を自分にも当てはめてみました。

 「神様は私を信じておられる」
 その言葉を味わってみると、神様が近しくなった感じがします。

 「関係」というのは二者の双方向の働き掛けから成ります。互いの信頼があって信頼関係が成り立ちます。神と人が親子であるならば、信頼関係で結ばれるものでしょう。

 神様は私を信じて、主人と結んでくださった。
 神様は私を信じて、貴い子供たちを与えてくださった。
 神様は私を信じて、主人の家族を委ねられた。
 神様は私を信じて、この仕事をさせてくださっている。

 そんなふうに、自分が置かれた環境の一つ一つに思いをはせながら、しばらく感謝と何とも言えない穏やかさの中にいました。


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