2020.08.29 12:00
スマホで立ち読み Vol.10
『天一国時代の信仰生活講座』(9)
召命された者の立場
前田千代子・著
「スマホで立ち読み」コーナー第10弾は、『天一国時代の信仰生活講座』です。
季刊『祝福家庭』で10回にわたって連載され、好評を博した前田千代子講師の「信仰生活講座」を書籍化したものです。千葉中央修練所で長年行われてきた講義のエッセンスが詰まった一冊です。
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第一章 神による召命
4. 召命された者の立場
(一)一世の誇り、祝福子女の誇り
召命された者の立場について、端的に表した聖句があります。
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。……そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである」(ロマ8・29~30)
神様は知っている者(私)をお召しになり、御子に似た者にしようとして定めてくださったのです。
御子(みこ)とはメシヤ、再臨主、すなわち真の父母様です。私たち一世をはじめ、祝福の子女たちは、真の父母様に似るために、定められ、召命された者です。
真のお父様が第一のメシヤなら、召命された私たちは第二のメシヤです。お父様が大きなメシヤなら、私たちは小さなメシヤです。
原理講義を聴きながら居眠りしていても、伝道に行って声をかけることすらできない私であっても、神様に背を向けて逃げようとしてきた私であっても、神様の願いに反することばかりしてきた私であっても、自分がどんな者であるかは、神様が全て知っていらっしゃるのです。
その上で、私たちを義とし、栄光を与えるために、召命してくださったのです。
「神様から召命された者」というその一点こそ、信仰生活の中で誇るべきことです。私たちの能力や実力以上に、神様から召命されたという事実、神様が愛してくださったという事実こそ、私たちの誇りです。
(二)神様が共にいれば、できないことはない
知って、定めて、召命する、ここまでが神様の責任です。それを実らせるか実らせないかは、私たちの責任です。私たちがいかに責任分担を遂行するかにかかっています。
しかし、私たちにそれを果たす自信があるでしょうか。信仰も幼く、心情も能力も実力も足りない私たちです。
ところで、自信というのはどこから来るのでしょうか。能力や実力があれば自信が湧いてくると思いますか。お父様は、「渉外力やみ言(ことば)の力、経済力などは、徹底した訓練を通してついてくる」と語られましたが、そこに到達するまでどうしたらよいでしょうか。
自分が自信のないことをしようとするときは、神様に祈るしかありません。自信がないから、必死にお祈りして、一生懸命、伝道や学業、仕事に励むのです。そうすると神様が応えてくださいます。
何よりも、私たちは真の父母様の勝利によって、人間始祖アダム・エバの堕落以前の時代を迎え、基元節(天一国元年天暦一月十三日)が宣布されました。それは堕落前の状態、つまり神様と一問一答を交わした創造本然の世界です。
だからこその報告祈祷です。「~してください」「こうなりますように」と祈るのではなく、自らが実践した内容を具体的に神様に報告し、神様のみ声に耳を傾けるのです。
神様が働いてくださることで勝利できたという体験が必要です。このような体験を積み重ねていけば、「神様が共にいれば、できないことはない」という確信が生まれてくるでしょう。
大切なことは、神様が働ける自分になることです。どのようにしたら神様が働ける自分になるのかを知ることこそが、一番大切なことです。
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次回は「神様は、私を離れない」(最終回)をお届けします。お楽しみに!