2020.07.11 12:00
スマホで立ち読み Vol.10
『天一国時代の信仰生活講座』(2)
信仰の動機とは?
前田千代子・著
「スマホで立ち読み」コーナー第10弾は、『天一国時代の信仰生活講座』です。
季刊『祝福家庭』で10回にわたって連載され、好評を博した前田千代子講師の「信仰生活講座」を書籍化したものです。千葉中央修練所で長年行われてきた講義のエッセンスが詰まった一冊です。
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第一章 神による召命
1. 信仰の動機とは?
私たちは、さまざまな導きを通して天の父母様(神様)に出会い、このみ旨の道を出発しました。そして、信仰生活の出発は、自分自身の中に動機があって始めたと思われている人もいるかもしれません。
しかし、私たちの信仰の動機は神様にあり、私たちは神様からの召命を受けた者なのです。それは一世であっても、二世、三世といった祝福子女であっても変わりません。ただし、一世は堕落圏内から、祝福子女は神の血統圏内から召命されたのです。
召命とは、「神様の恵みによって、神様に呼び出された」ということです。その神様の召命を受けて、私たちは信仰するようになりました。
ですから、私たちの信仰の出発点は、自分ではなく、神様にあります。新しい使命のために、私たちは選ばれたのです。信仰の動機は、神様です。決して自分から始まったのではありません。
聖書に、召命について記した箇所があります。
「わたしは地の果(はて)から、あなたを連れてき、地のすみずみから、あなたを召して、あなたに言った、『あなたは、わたしのしもべ、わたしは、あなたを選んで捨てなかった』と」(イザヤ41・9)
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生(うま)れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(エレミヤ1・5)
神様は、地の果てからイザヤを連れてこられました。またエレミヤに対しては、生まれる前から召命したと語られました。イザヤもエレミヤも旧約時代の人ですが、現代の私たちについても同じことが言えるでしょう。
神様は、私が地の果てにいたとしても、生まれる前であったとしても、私という存在があることを知っていらっしゃるのです。むしろ、私たちが生まれてきたのも、こうして生きているのも、神様が生命を与え、人生を与えてくださったからです。
自分自身を自分の目で見れば、小さく不足で何もできないような私であるかもしれません。しかし、神様の目から見ると、全く違う私なのです。待って待って待ち望んで、ようやく生まれ、今日まで導いてくださった神様がいらっしゃいます。
私たちはそのような神様によって予定された者であり、時が来て選ばれた一人一人です。神様が動機となって、私をこの道へと召命されたのです。
教会とは、建物ではなく、そのような召命された人々が集まる所を言うのです。また、私たちは一人一人が、神様から召命された一人一人であり、尊い神の子、兄弟姉妹なのです。
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次回は「召命は神様のご意思」をお届けします。お楽しみに!