夫婦愛を育む 122
こんなことは言っちゃいけな…くないように

ナビゲーター:橘 幸世

 学生時代、伝道活動に加わるようになって間もない頃、先輩がこんなことを言っていました。

 「クリスチャンを伝道しようとすると、彼らは“あなたは救われていますか?”と聞いてくる。“救われているか”と聞かれて僕たちはハタと己を振り返る。‟救われている”という実感、解放感がないので即座に“はい!”と答えられないことが多いんだ」

 人類の真の父母を知り、長い歴史の中では一瞬ともいえる今この時を共に生きている。そのとてつもなく大きな恩恵の中にありながら、「救われている」と心から言えない…?(もちろん、全員ではありません)

 一般的にキリスト教は「信じるだけで救われる」「自分の罪は全て主が負ってくださる」と教えています。
 一方、統一原理では神様の恨(ハン)、人間の責任分担、失敗の繰り返しだった復帰摂理歴史が説かれ、私たちは己の堕落性と闘いながら天の願いに応えようとします。天の切実な事情と願いに照らせば、自分の不足さしか見えてきません。常に心のどこかに負債を感じています。
 示された摂理の方向性に対して、自分の心が素直に呼応しない場合、負債を感じることもあるでしょう。

 数年前、地元で開かれた研修会の折、講師として来られた入山聖基伝道部長(世界平和統一家庭連合/以下、家庭連合)が「皆さん、(家庭連合の)教会に行っても孤独ではないですか? 疎外感を感じませんか?」と言われました。
 覚えがないわけではありませんでしたし、他の姉妹が同様の事を言っていたのを小耳に挟んだこともあったので、とても興味深く拝聴しました。

 以前ある二世が、「こんなことは言っちゃいけない」という雰囲気を感じて、教会で自分の本音(負の感情)が言えない窮屈さを話してきたこともありました。入山部長が言われたのもこの点です。

 でも、負の感情を消化できずにため込んでいけば当然苦しくなります。そんな時もし「救われていますか?」と聞かれたら、やはり「はい」と即答し難いかもしれません。本音を言えない関係の人たちとでは、たとえ一緒にいても内心は寂しいものです。

 かつて訪れたある教会は、とても温かな雰囲気がありました。中に通されてあいさつを交わすや否や、私の心がパカっと開いているのです。すぐに冗談が飛び出し笑顔での会話が続きます。初対面なのに肩に力が入らず、これはどうしてだろうと思ったら、その教会ではメンバーの話を「否定せず説教せずただ聞く」ことに徹しているそうです。結果も伴っているとのこと。とても納得し、感銘を受けました。

 先日の徳野英治会長(家庭連合)のメッセージの中に、「多く許された者が多く愛する」というお話がありました。
 信仰に入る動機やきっかけは人によってさまざまですが、入り口は何であれ、ある時点で天の父母様や真の父母様から許される霊的体験をしたからこそ、信仰の道にとどまっているのでしょう。
 実体の、神様を中心とした家庭、教会の兄弟姉妹の関係においても、本音を言っても受け止めてもらえる、裁かれない、否定されない、そんな雰囲気がさらに広がっていくことを願います。


◆Blessed Lifeで連載中の「夫婦愛を育む」が待望の書籍化! 本のタイトルは『いちばん大切な人と仲良くなれました』
 ご覧になりたいかたはコチラ