コラム・週刊Blessed Life 123
「神の国はあなたがたの心の中にある」

新海 一朗(コラムニスト)

 昔から多くの聖人・賢人たちが、究極の理想郷はどういう世界なのか、理想郷はどこにあるのかといった真剣なテーマを追求してきました。
 現在でもそれは変わりないことだと思います。究極の理想郷は永遠のテーマなのです。

 一見すると、現代は非常に物質的な豊かさを実現している社会であり、人々はその社会の中でさらなる豊かさを求めて物質的理想郷の実現に余念がありません。そのように見えます。

 しかし科学的な進歩と衣食住の物質的充足感が深く結び付いて、物質の理想郷を追求するとしても、「心の満足感」「精神の充足感」がなければ、究極の理想郷に到達できないというのが、もう一つの厳然たる真実であると見るべきです。

 なぜなら、愛、思いやり、慈愛、慈悲、孝行、寛容、許し、忍耐、柔和、謙譲といった精神的要素が、人々の幸せをつくり上げているもう一つの重要な要素であるからです。精神的な要素を否定することはできません。私たち自身、「心」から一歩も離れられない存在です。

 イエス・キリストは、「神の国は、見られるかたちで来るものではない」(ルカによる福音書 第17章20節)と言い、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(同、21節)と言っています。

 これが、イエスの答えでした。究極の理想郷である神の国は、自分自身の心の中になければならないというのです。物質的な環境が天国であっても、心の中が天国でなければ、本当の天国は実現されていない、不完全のままだということです。

 仏教では、世界を構成する要素として、五蘊(ごうん)ということを言っています。
 物質的要素を「色(しき)」という言葉で表し、精神的要素を「受(感覚)」「想(表象)」「行(意志)」「識(意識)」の四つの言葉で表しています。

 精神界において、最も高い精神の境地に至った時、煩悩からの解脱という境地に至り、そこが「涅槃(ねはん、ニルバーナ)」という世界であると言います。
 汚れたあらゆる心が取り去られ、あらゆる煩悩を滅し尽くし、心が静まった最高の安らぎの境地が「涅槃」であるというわけです。あるいは「涅槃寂静」と言います。

 こうして、東西の代表的な宗教が説く「究極の理想郷」なるものを比較して分かることは、どちらも「精神的な境地」において、神の国(あるいは涅槃)の実相が見られること、すなわち、安らぎ、平安、愛、慈悲、思いやりなどの精神、霊的なプラス想念が、ただそれのみが、どこまでも広がっている世界でなければならないことが分かります。

 現代人は、一体どうやってそのような「神の国」「涅槃」の世界を、自らの内に実現することができるのでしょうか。

 非常に難しい問題です。その理由は、私たちの生活そのものが、あまりに金銭的、物質的に出来上がってしまっているからです。精神的に豊かな境地を開くということをあまり考えません。

 それでも、一つの大きなヒントがあります。物質的に、金銭的に忙しい生活形態を崩さなくても、これだけを心掛ければよいという一つのことに心を集中させることです。

 それは何か?

 私は与える生活をしているかと自身に問い掛けてみることです。
 「受け取る生活」よりも「与える生活」の比重が大きければ、その人は神の国に近いはずです。与えれば、受け取ることも多くなる、それもまた真理です。