2020.06.15 17:00
信仰と「哲学」50
関係性の哲学~「統一」の深い意味
神保 房雄
「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。
統一原理の、「統一」について述べてみたいと思います。
韓国に「私たちの願いは統一」という有名な歌があります。ご存じのように、この歌は韓半島の統一を願う内容なのですが、普遍的な「意味」を感じさせるものです。それは、人間はどこまでも統一を求める存在であり、「統一」は哲学的に最も重要な概念なのです。
西田幾多郎は「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」(『西田幾多郎全集』岩波書店 第5巻92頁)と述べています。
ここでいう「自己の自己矛盾」とは、私自身がそうであったように、自己の能力や環境的困難さに直面し、生きる意味が分からなくなり、生きることの充実感や希望、喜びに絶望している分裂状態のことをいいます。
「自己の自己矛盾」の克服とは、自己自身の統一を意味し、哲学はそのために必要な知識(論証的、実践的、認識論的知識)の「最高統一」としての学でありたいと願っているのです。
結果として「哲学とは世界観と人生観との学」(ヴィンデルバント)ともいえるでしょう。歴史上に現れた哲学は、哲学者たちが上記の内容を獲得しようとした貴重な足跡だったのです。
人間にとって、統一が喜びであり、統一が幸福なのです。その意味で、韓国の歌のタイトル「私たちの願いは統一」は、実に「哲学的」な響きを持っています。
それではなぜ人間は統一を求めるのでしょうか。それは人間の本質が統一体であるからです。ゆえに、常に統一を求めざるを得ないのです。堂々巡りのような言い方になっていますが、後に掘り下げていきたいと思います。
ショーペンハウアー(独、1788~1860)は、人間は形而上学的動物であるといいました。形而上学とは、現象界の奥にある世界の根本原理を(純粋思惟〈しい〉や直観によって)探究する学問をいいます。現象の奥にある、共通の要素、さらには根本原理を探求する学問ということです。
同じことを、養老孟司氏は、人間の意識は「同じ」を理解できると述べています。2017年11月に上梓した『遺言。』の中でこの点を強調しています。
人間と動物の意識の違いを研究した結果、多少断定的ですが、動物の意識にイコール『=』はない、というのです。「動物の意識には『=』はない」、すなわち、a=bならば、b=aである、これが動物には分からない、というのです。数学で交換の法則といわれていますが、人間であれば当たり前の交換を動物は理解しないというのです。
養老氏はさらに、この「同じ」を理解する意識のゴールは唯一神に至ると指摘しました。
「同じ」を繰り返すことによって、感覚所与の世界から離脱して、一神教に至ることが可能になるというのです。完全に統一された世界観を構築することができるのです。
これは、個々の存在間にある共通の要素の把握によって、異なる現象の存在を「統一」するのです。人間とは、「統一」を求める存在なのです。