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日本統一運動史 49
日本に真の御父母様を迎える準備時代㉟
久保木修己氏、入教

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』をお届けします。
 創立40周の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

 今回は、「18. 全国9か所に教会設立」を割愛し、「19. 久保木修己氏、入教」を掲載します。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

三、草創期を築いた人々の歩み

(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)

19. 久保木修己氏、入教(1962.8)

 1962年8月に、立正佼成会の会長秘書である久保木修己氏が初めて馬橋の教会の聖日礼拝に参加しました。

 「一人の先生が入ってこられ、説教が始まりました。六人しかいないのに何万人にも向かって語るように、ありったけの声を出して話すのです。そして、重要なところになると、ドンドンと机をたたくのです。これほどまでに真剣に訴えるとは、一体何があるんだ、どこからその力強さが出てくるんだ? こう考えたときに、そのときの説教の内容はあまり分かりませんでしたが、その人の信念に強く心打たれたのです。そして、私の心を占めていったのは、いつかこの青年たちの所に来なければならないという思いでした。」(1973. 4. 7)

 そして崔奉春宣教師と庭野日敬立正佼成会会長が会談を持ったのは、1962年9月7日でした。「その後、私は何度か統一原理を聞くことになりました。その内容を私は逐一庭野会長に…ご報告すると、…そのすばらしさを認めて頷いて下さいました。…私が統一教会の青年たちに接してみて、驚いたのは、彼らは目先のことに関心がありませんでした。食べること、着ること、住むことに無関心です。かといって、従来の宗教のように現世利益を否定して、ひたすら来世での幸福を求めて、修道の生活に甘んじているわけでもありません。彼らは数こそ少ないのですが、若くて、健康で、かつ情熱的でした。彼らの目は輝き、口から出る言葉は、日本とか世界のことばかりです。目先の利益と日本や世界あるいは将来の利益を求める違いをまざまざと感じました。佼成会に集っていた病気で苦しむ青年の多くと比べて、私は佼成会の御利益宗教的な現実を認めないわけにはいかなくなりました。会長への報告を通して、私は庭野会長の偉大さを改めて知らされました。…こだわりがありませんでした。いいものはいい。純真で思いが一途なのです。…佼成会のほかにいいものがあれば、それから学ぼうという姿勢が自然に取れるような方だったのです。私はそんな会長をかねがね大変尊敬していました。…

 統一教会に通い始めて少したったころ、…西川先生を庭野会長に紹介した後、…西川先生は、『…薮から棒で恐縮ですが、…将来性のある若者を40日間、私に預けてください。私のところで修行を積ませ、40日後に立派な青年にして、会長先生の所にお返しいたします』。…西川先生の申し出にも仰天しましたが、庭野会長の答えはそれ以上に私を驚かせました。会長は、しばらく考えていました。…

 『それは面白い話だ。では、早速人選をして、あなたの希望通り、あなたに預けますから、よろしく』。

 この一瞬は歴史的な瞬間でした。日本における統一教会の基礎が、この時点で形成されることになったと言っても決して言い過ぎではありません。」(久保木修己著『愛天 愛国 愛人』より)

 その後、1962年12月10日から1963年1月20日まで40日修練会が開かれました。最後には1月21日から22日まで、神奈川県の七沢に行き、祈祷会を持ちました。

▲40日修練会後の野外祈祷で(1963.1)

◇久保木修己氏の40日修練会の感想
 「…それからの四十日間は、またたく間、西川先生の愛と真に満ちたご薫陶と、兄弟姉妹たちの素晴らしい兄弟愛に育まれて、罪悪に満ちた私が、かつて味わったことのない法悦感に浸りながら人格完成への道をただまっしぐらに進んでいったのでした。驚くべき原理講義、正しく驚くべき原理講義でした。時間のたつのも忘れて聞き入った数日間、終わったとき本当に身の震えが止まらないほどの感激でした。

 かつて考えたこともない天の父の真情、罪悪の根源、終末の原理、そして創造原理の素晴らしさ、その一つ一つが心の琴線に強く強く響きわたり不思議なほどの力が湧いて来ることをどうしようもありませんでした。

 しかしそれにも優るとも劣らないほどの驚きは、西川先生をはじめとする兄弟たちの祈りに明け、祈りに暮れる、その日々の行動でした。常に愛なる父の真情を己の心として、そこからすべての言動が表れる、すなわち自己中心ではなく本当に神を中心とした身の律し方、その生活態度について心から感服させられました。

 これこそ己の心の底で求めていた生活であると確信し、人類全体もまたそれぞれ心の底で待ち望んでいるのは、実はこのことなんだと思わずにはいられない気持ちだったのです。

 嬉しかった! 本当に嬉しかった。創造本然の位置と状態がはっきりと分かり、また現在の自己を深く認識することができ、さらに未来のビジョンがはっきりと明示されたとき、長い間待ち望んでいた命の泉にめぐり合い、乾ける喉を一息に潤すように飲み尽くして私は復活したのです。

 多くの人に先駆けて二百万の信者に先駆けて与えられた喜び、筆舌につくしがたいこの思いは、すなわち天の父の喜びであり兄弟姉妹たちの喜びであることを考えると、あらゆるものに感謝の念が、あらゆるものに慈しみの情が心の底から湧いてくるのをとどめようがありませんでした。素晴らしかった四十日、一生に記念されるべき四十日。」(『成約新聞』第33号、1963.3.15付より)

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 次回は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代㊱」をお届けします。


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