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映画で学ぶ統一原理 8

(この記事は『世界家庭』2018年8月号に掲載されたものです)

ナビゲーター:渡邊一喜

『トイ・ストーリー3』
2010年。103分。

主人を純粋に慕う捨てられたおもちゃの姿が、天に対して私たちが持つべき心情を示唆

後編 / 復帰摂理

 私にとってディズニーのアニメは、幼い頃の記憶と深く結びついている。母親の帰宅を待ちながら、『ダンボ』や『ピーターパン』などを繰り返し見ていた。

 ディズニーのCGアニメの1作目として、95年に『トイ・ストーリー』が公開されたときは、正直、違和感を拭えなかった。ところがその後、技術の洗練により卓越した映像美が作り出され、今では2Dアニメに懐かしさを覚えるほどになってしまっている。

 『トイ・ストーリー』は全編を通じて素晴らしい。主人公はカウボーイ人形のウッディ。おもちゃなので、ウッディたちの最上の喜びは、子供に遊んでもらうことである。おもちゃ同士の争いや裏切り、和解、友情などを、面白おかしく、そして感動的に描いているのだ。

 今回紹介するのは、その3作目である。物語は、ウッディたちの持ち主であるアンディが成長し、大学進学のため家を出る準備をしている場面からスタートする。子供の頃に遊んでいたおもちゃを屋根裏にしまおうと考えていたアンディだが、母親にごみと間違えられ、捨てられてしまう。

 おもちゃたちは、アンディから捨てられたとショックを受け、家に戻らず託児所に行くことを選ぶ。たどり着いた託児所は、表向きにはおもちゃたちの楽園だが、実は持ち主から捨てられ、恨みを抱くおもちゃが支配する帝国であった。

 そんな中、真実を知ったウッディが奔走する。おもちゃたちのアンディに対する誤解を解き、アンディの元に戻るべくストーリーが進んでいくのだ。

 『トイ・ストーリー』を原理的観点で見詰めると、持ち主であるアンディとおもちゃたちの関係が、神と人間との関係の完璧なアナロジー(類比)になっている。その関係性に最も焦点を当てているのが3作目である。

 アンディを誤解し、自分たちだけで生きていくことを選択するおもちゃたちは、さながら荒野のイスラエル民族のようである。そのおもちゃたちにアンディの真意を伝えようとするウッディは、預言者のようだ。絶対的な主体であるアンディとの関係が、彼らの幸不幸を決定している。それは、まるで神と私たち人間の関係そのものだと感じた。

 ウッディたちが純粋にアンディを慕う姿は、私たちが神様と真の父母様に対して持つべき心情を教えてくれる。

(『世界家庭』2018年8月号より)

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