2020.04.17 17:00
映画で学ぶ統一原理 7
(この記事は『世界家庭』2018年7月号に掲載されたものです)
ナビゲーター:渡邊一喜
『手紙』
2006年。121分。
「強盗殺人犯の弟」という事実を受け入れ、自らの人生に立ち向かう
堕落論にまつわるテーマを扱う映画は世にあふれている。今回は、その中でも「罪」について考えさせてくれる映画を紹介したい。東野圭吾のベストセラー小説を映画化した「手紙」である。2006年に生野慈朗監督の手によって、山田孝之主演で映画化された。
主人公の直貴(山田孝之)には兄が一人いる。その兄は強盗殺人の罪で服役中である。幼くして両親を亡くした二人は、早くから働きに出た兄の稼ぎで何とか暮らしていたが、兄は直貴を大学に進学させるための金欲しさに空き巣を働き、その際、思いがけず人をあやめてしまう。
この事件以来、直貴は「強盗殺人犯の弟」として生きていかなければならなくなり、彼の人生は屈折していった。幸福をつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という事実が明るみになり、希望を捨てざるをえなくなる直貴。ついには兄との決別を決意するが、さまざまな出会いを通じ、もう一度、「兄」と「兄の犯した罪」と向き合うようになっていく。
この映画のメッセージはどこにあるのだろうか。これは「兄弟の絆」の物語であるが、作中では、その絆の強さが、兄の犯した「罪」をより深刻にしている。原理的にこの罪を分類するなら、直貴の立場からは「連帯罪」ということになるだろう。直貴は兄の罪ゆえに人生をゆがめられていった。「罪」は、それを犯した本人だけの問題ではないという痛ましさを、この映画は教えてくれる。
また、複雑な復帰摂理歴史の蕩減を背負う私たちの姿を、直貴の立場において考えることもできる。兄の罪ゆえにゆがめられた人生を恨み続けた直貴だったが、兄の存在を隠し、自分の居場所を探そうとするうちは、傷つき続ける。しかし自身を支えてくれる存在を知り、ついには兄の存在と正面から向き合ったときに、自分の人生をポジティブに受け入れることができるようになっていくのだ。
私たちの人生には、歴史の蕩減からくる理不尽さも当然ある。しかしそれに不平を言い、立ち止まっているだけでは何にもならない。直貴が兄と向き合っていったその姿は、私たちが自らの人生と正面から向き合うべきことを示唆しているのかもしれない。
(『世界家庭』2018年7月号より)
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