歴史と世界の中の日本人
第35回 葛飾北斎
西洋に影響を与えた日本人画家

(YFWP『NEW YOUTH』193号[2016年7月号]より)

 1999年、米国の雑誌「LIFE」で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の特集が組まれたことがあった。
 その中で唯一ランク入りした日本人がいる。

 江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849)である。

▲葛飾北斎、自画像(ウィキペディアより)

 1814年、北斎は五十四歳の時、民衆のさまざまな表情や動植物のスケッチを収めた『北斎漫画』を発表した。
 その軽妙で自由奔放な筆運びは、北斎を森羅万象を描く絵師、と言わしめた。

 その『北斎漫画』が西洋に輸出された日本陶器の包装紙に使われ、そのデッサンの秀逸さに驚嘆したフランス人の版画家が画家仲間たちに伝え、そこから空前のジャポニスム(日本ブーム)が広まったという。

 北斎は七十四歳で『富嶽百景」を完成させ、そのあとがきにこう寄せた。

 「私は六歳の頃から物の姿を絵に写してきた。

 五十歳の頃からは随分たくさんの絵や本を出したが、よく考えてみると、七十歳までに描いたものにはろくな絵はない。

 七十三歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。

 だから八十歳になるとずっと進歩し、九十歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、百歳になれば思い通りに描けるだろうし、百十歳になったらどんなものも生きているように描けるようになろう。

 どうぞ長生きされて、この私の言葉が嘘でないことを確かめていただきたいものである」

▲1842年、82歳頃の自画像の一部(ウィキペディアより)

 オランダ出身の画家、ファン・ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で北斎について次のように語っている。

 「日本美術を研究すると、間違いなく聡明で博学な哲学者を発見することになる。

 その男(北斎)は何をして時間を過ごしていると思う? 一枚の葉を探求しているのだ。

 しかし、この葉の探求のおかげで全ての植物が描けるようになり、次に季節が、広大な風景画が、動物が、そしてついには人間が描けるようになるのだ。

 こうやってこの男は人生を送っているが、全てを完成させるにはこの人生は短すぎるのだ。
 いいか、日本人が教えてくれているのは真の宗教だ。

 彼らはとても純粋で、まるで自分自身が花のごとく自然の中を生きている」

---

 次回は、「世界を感動させた日本の救助隊」をお届けします。