2019.12.13 22:00
愛の知恵袋 95
ダッカの7人
松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)
故人に想いをはせる8月
今年もまた、真夏の8月がやってきました。葉月(はづき)と言われる名の如くに、青葉が生い茂って木陰をつくり、照り付ける日差しから私達を守って、ひと時の涼をもたらしてくれます。
毎年、この時期になると思い出すのが、他界した人たちのことです。
特に日本の場合は、8月には原爆投下や終戦の記念日があり、お盆という伝統的行事もあって、この国の至る所で慰霊や供養が行われるので、自然と故人をしのぶ気持ちが湧いてくるのかもしれません。
私自身の思いから言えば、じっと目を閉じると、まず、2年半前に他界した愛する妻の顔が真っ先に浮かんできます。そして、父や母の面影。さらに心から敬慕した恩師、共に歩んだ友人達の顔が浮かんできます。
1年中、目の前の現実に追い立てられて過ごしている我々ですが、時には目を閉じて、先に逝った人たちのことに想いを馳せ、その人達から見て「今の自分の生き方は正しいだろうか」と、自分を省みる時間を持つことは意義あることだと思います。
今年、追悼したい人達
心の視野をもっと外に広げれば、まず思い出すのは、熊本・大分大地震や相次ぐ災害で亡くなった方々のことです。特に若い学生や子供たちの魂のためには、冥福を祈らざるを得ません。
そして、もう一つ、私の心に強く残る人達がいます。それは、先月7月1日、バングラデシュの首都ダッカにおいて、無謀なテロによって非業の死を遂げた21人の人達のことです。いま、インターネットを開いてみると、世界の多くの国々の人達が、彼らの死を嘆き悼んでいます。
特に、7人の日本人の死は、私達をやりきれない思いにさせました。彼らは全員、バングラデシュの発展のために働いていた人達でした。「そんな人達まで、なぜ殺したのか!」という怒りと悲しみが世界に広がっています。
そして、人々の怒りの矛先は、テロ組織「イスラム国」だけにとどまらず、彼らの暴挙を許してしまったバングラデシュの政府と国民にも向けられていきました。
日本の皆さん、許してください!
しかし、実は今、外国人の彼らの死を一番悲しみ、胸を打って嘆いているのは、現地バングラデシュの人達だということが分かってきました。
今、ネット上には彼ら自身の痛憤の声が溢れているのです。
何人かの言葉を拾ってみましょう。
「なぜ日本人を狙ったんだ! 日本はこれまでにどれだけ俺達を助けてくれたことか!」
「バングラデシュの発展は、全て日本のおかげだ。それなのにこんなことが起きてしまったなんて、残念でならない!」
「あまりにも愚かだ。日本はこれからも友人でいてくれるだろうか?」
「全てのバングラデシュ人が、申し訳なく思っています。いま、バングラデシュは、国全体が喪に服しています」
「全ての日本人にお願いです。どうか僕達を許してください! 僕達にも何がどうなっているか全くわからないんです。日本は、世界の模範となる偉大な国だと思っています」
「心の底からの謝罪を日本人へ。日本からの友人を守れなかったことをどうか許してください!」
「ただただ、恥ずかしい。ああ、日本! 本当に申し訳ない!」
届いていた日本の善意の心
1971年の同国独立以来、官民問わず多くの日本人が渡航し、ずっとその発展のために尽くしてきた善意は、確かに彼らの心に届いていたのです!
天が与えた人の命の価値には貴賤が無く、どんな命も等しく貴いものですが、人の生きざま、つまり人生の値打ちというものには、大きな違いがあるように思えます。
個人としてどんなに才能に優れた人であっても、もし、自分のためにだけ生きた一生であれば、誰の心にも残らないでしょう。しかし、誰かのために生きた人生であれば、相手の心に永遠に残る尊い人生になります。
家族のため、社会のため、国のため、世界のため…。より大きなことのために生きるほど尊い価値ある人生と言えます。そう考えた時、国境を越えて灼熱(しゃくねつ)の地に身を投じ、汗を流したあの7人の人生は、短かったかもしれないけれども、本当に貴いものであったと言えるのではないでしょうか。
彼らの名とその精神は、かの地の人々の心に深く永遠に刻まれることでしょう。
そう信じて、彼らの冥福を心からお祈りしたいものです。