家族の絆づくり 94
感謝するとは「承認して受け止める」こと

ナビゲーター:阿部 美樹

「パンタナール精神」で丸のみこそ、真の愛

 感謝するとは、「我慢して受け止める」ことではなく、「仕方なく受け止める」ことでもありません。

 感謝するとは、全ての出来事や出会いに対して、私に必要なこと、大切なこととして「喜んで受け止めること、承認すること」です。

 しかし、時には苦しくつらい出来事もあるので受け入れ難いことがあります。何とか受け止めたとしても、喜ぶことができない状況もあるでしょう。その時は、私の過去を蕩減復帰してくださる神様の愛として捉えていきましょう。私がどのように受け止めたら神様は喜ばれるだろうかと考えられれば、それは「感謝の生活」に変わることでしょう。

 真の父母様が、南米で精誠を尽くされた時、「パンタナール精神」というみ言を語られました。

 大自然を見ると、大きな魚は小さな魚を、毒があってもトゲがあっても丸のみします。同じように真の人は、相手が敵であっても怨讐であっても真の愛で丸のみすると、真の父母様は教えてくださいました。

 神様が私たちを限りなく許してくださったように、私たちは誰に対しても許して丸のみすること、すなわち承認する姿勢が大切です。

「悪」まで承認していいの?

 人間関係の中で、相手の善なる姿を承認することはできても、相手の悪なる姿は承認し難いものです。

 しかし、相手の悪なる姿も承認するということは、「悪でも良い」と、それを「許可」するものではなく、悪の姿になった「気持ちを承認する」ということです。

 承認された相手は、「このような悪なる姿も承認し、信じてくださった。悪なる心を持ってしまった自分が申し訳ない、何とか悪を取り除きたい」という心になることでしょう。

 まさに、良心の呵責です。

 承認とは無条件に受け入れることであり、無条件の愛といえます。完熟した愛を持つ祖父母は、孫を見ると、善なる姿であっても悪なる姿であっても無条件に受け入れて「かわいいい!」と愛する心を持ちます。

 「絶対信仰」とは無条件に信じることであり、「絶対愛」とは無条件に愛することを意味するように、無条件的な承認の心を持つことは大切なことです。

 また、円滑なコミュニケーションの秘訣は、「傾聴」「共感」「相づち」「うなずき」「オウム返し」といわれますが、どれもが相手を「承認」するためのスキルです。

 誰に対しても、いつでも承認する姿勢をもって接しましょう。