夫婦愛を育む 87
「バツの世界にはマルが入る場所がありません」

ナビゲーター:橘 幸世

 「堕落した世界は、マル(○)の世界ではなく、バツ(×)の世界です。マルには数億のバツが入ることができますが、バツの世界にはマルが入る場所がありません」(『真の父母経』1494頁13)

 真のお父様が2009年5月5日に語られたみ言です。

 以前にこの部分を訓読した時は深く考えることもなく読み進めたのですが、今回は心に留まりました。そこにはマル・バツに関するそれ以上の説明がありませんので、これから先は私個人の解釈・受け止め方として読んでいただくようお願いします。

 マルは相手を受け入れ肯定すること、バツは相手の不足部分に目を向けて否定すること、と感じました。
 相手を受け入れれば、相手の不足部分が見えても許容し成長を待ちます。マルにはバツが入れるのです。愛から受け入れることもあるでしょうし、受け入れていく中で愛が育つこともあるでしょう。
 でも、相手の不足部分に気を取られていると、葛藤し、愛せません。良い部分(マル)すら見えなくなりがちです。

 西洋社会を舞台にした物語を読んでいると、同じクリスチャンでも、彼はA教会、彼女はB教会と、しばしば宗派の違いが出てきます。そんな中、「義理の母はC教会に所属していて、厳格で裁きやすい人だったので、反りが合わなかった」という表現に出合いました。

 どこかで聞いた話のように感じるのは私だけでしょうか。

 私の親しい友人の嫁ぎ先は、夫だけでなく義理の母や姉も同じ信仰を受け入れていました。それを聞き、「良かったね」と送り出したのを覚えています。が、やはりその環境なりの苦労があったようです。
 異なる生活習慣などから来る一般的な義理の家族との葛藤に加えて、信仰面から来る難しさがありました。より信仰熱心な側が、自分の基準を相手に期待(無言の要求)するのです。当然その期待に添わなければ、失望し、その波動は相手に伝わります。相手は「裁かれた」と感じることもあるでしょう。信仰が、一歩間違えばバツを生んでしまうのです。夫婦間ですら、信仰姿勢の違いで闘うのですから、ましてや義理の親や兄弟となると余計に難しいことと想像します。

 幸せな家庭づくりを通して理想世界実現を目指す私たちは、まずは家庭の中でこそ、真理をもって裁くことのないよう、バツを付けることのないよう自戒し、柔らかい心で相手を受け入れることを心掛けていきたいものです。

 私たちが復帰しようとするのは、創造本然の世界、マルの世界なのですから。