愛の知恵袋 84
読んで書いて、脳を若々しく

(APTF『真の家庭』203号[2015年9月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

読み・書き・そろばんの効用

 日本では、江戸時代のころから寺子屋があり、庶民に至るまで、ほとんどの人々が「読み・書き・そろばん」ができました。これは、「礼儀正しく勤勉な国民性」と共に、世界史的にも特筆される日本人の良き伝統でした。これらの全国民的な素養の土台があればこそ、アジア諸国が欧米列強の植民地になったときも、日本人は自らの力で西欧文明を吸収・消化して文明開化をなしとげ、ついには、先進国にまでなることができたと言われています。

 現在でも、日本ほど末端の庶民まで新聞を読み、本をよく読む国民はありません。平均寿命が世界一であるのは医療の普及度の高さのおかげであることは間違いありませんが、読み書きをする習慣もそれに貢献していると思います。

 年齢には頭の年齢と、体の年齢がありますが、健康なままでの長寿を保つには脳年齢が非常に大切です。読むこと、書くこと、計算することは、いずれも、自分の脳を活発に駆使することになります。また、楽しみながら料理を作ったり、歌を歌ったり、手先を器用に動かすことも、脳をいつまでも若々しく保つ効果があると言われます。

活字離れの副作用

 しかし、近年はこの状況が変わりつつあります。若い世代ほど、本や新聞を読む人が減っています。テレビをつければ、完成品としての映像が目に入り、パソコンやスマートフォンを持てば、知りたい情報がすぐに手に入ります。

 その結果、今までのように、本や新聞を読んで、自分の頭で考えたり、情景を想像したりするという脳の作業をしなくても済むようになりました。

 便利になったのは良いのですが、「使わない器官は退化する」という生物学上の法則があるために、最近は、「想像力が乏しい」「創造性に欠ける」「自分で考えることが苦手」といった傾向が増え、「手間のかかることは面倒くさい」「自分の感情を抑制できない」「すぐにカッとなる」「メールでしか対話ができない」「生身の人間と会話ができない」「人間関係をうまくできない」といった悩みをもつ人が増えています。

本や新聞を読む子は、学力も伸びる

 今年発表された文部科学省の全国学力・学習状況調査の分析レポートは、興味深いものでした。この報告は、昨年4月に行われた学力テストの結果と、同時に行った全国の小学6年生と中学3年生の保護者約4万人に行ったアンケート調査を、照合して分析したものです。

 一つには、「親の年収や学歴が高い家庭のほうが、子供の学力も高い」という実情が浮き彫りになったことで、貧富による学力格差という社会問題として論じられるようになりました。

 しかし、もう一方で、親の年収や学歴が最も低いグループでも、算数・数学Bで上位25%に入った子が、小617.3%、中3でも12.1%いました。

 その子供たちを含め、全体的にも見られたある顕著な傾向がありました。次のようなことを生活習慣としてきた家庭の子供は、学力面でも良い結果を示したのです。

1. 子供に本や新聞を読むように勧めてきた。

2. 子供が小さい頃に絵本の読み聞かせをした。

3. 毎日、子供に朝食を食べさせている。

 これらの習慣をつけることは、親の学歴や収入と関係なくできることなので、自分の家庭で、ぜひ心がけたいものです

高齢者には、有効な認知症予防法

 本や新聞を読むことは、子供たちだけでなく、高齢者にも大切なことだと思います。

 わが家を思い出してみると、母も父もかなり高齢まで生きていましたが、最後まで、認知症の兆候はなく、かくしゃくとしていました。

 10年前に他界した母は、心臓に持病があって84歳で逝きましたが、晩年は「今が一番幸せだ」と言いながら、詩吟や短歌の会に出かけては勉強し、水墨画を描くのを楽しみにしていました。新聞にも目を通し、毎日日記を書いていました。

 その3年後、父が94歳で他界しました。父は死ぬまで、ボランティアをしていました。少年時代に右足を悪くして身障者でしたが、最後まで自分の足で歩くことで、かえって健康になったようです。

 父のボランティアは、公民館で生け花を教えることから始まり、毎週、お餅や五目飯やまんじゅうを作っては、近所の老人に配っていました。特に、力を入れたのが近隣の三つの町の老人施設を月に1回慰問に行くことでした。

 私も何回か、助手としてお伴をしました。ホールに車椅子などでお年寄りたちが集まります。まず、みんなと一緒に10曲くらい懐かしい唱歌や軍歌や童謡などを歌います。そのあと、1つか2つ、父が創作した地元方言の小咄(こばなし)をします。

 帰り際に皆さんから、「ああ、面白かった。また、来てくださいね」と言われることが何よりも嬉しいようでした。その父も新聞は毎日読んでいました。そして、小咄の原稿を書きながら、「これは、私のボケ防止じゃ」と言っていました。