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スマホで立ち読み Vol.1
『死んだらわかるけど、それでは遅い』(6

 「スマホで立ち読み」コーナーがスタートしました!
 記念すべき第1弾で取り上げたのは、北谷真雄氏のロングセラー『死んだらわかるけど、それでは遅い』。
 すでに読んだよというかたも、まだ読んだことがない、知らなかったというかたも、みんな立ち読みオーケーです。
 『死んだらわかるけど、それでは遅い』は第1章から第2章までをご紹介する予定です。

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北谷 真雄・著

(光言社刊『死んだらわかるけど、それでは遅い』より)

2.父の事故をきっかけに母が霊通

母が信仰の道へ

 母は、父が事故に遭った直後から、母の姉の家の近くにあった神道の教会に、「何とか父が助かるように」と祈願して熱心に通うようになりました。それまでは特に信仰はしていませんでしたから、まさに「苦しい時の神頼み」でした。

 父の意識が回復した後も、母はその教会に熱心に通いました。毎日欠かさず、朝七時からの修行を続けていったのです。

 当時、私には中学生の兄(七つ上)と、小学生の姉(二つ上)がいました。学校に行っていないのが私だけだったことから、父の看病という役目が五歳の私に回ってきました。私は幼稚園を休んで、毎日朝六時発のバスに乗って病院に行きました。そして、朝まで父に付き添っていた母と交替するのです。

 五歳の子供が病院でできることといえば、父に何か異変があったらブザーを押して、看護師を呼ぶことでした。そのようにして、私は一日中病院にいたのです。そのとき、いつも周りから言われていたのは、「じっとおれ(じっとしていなさい)」でした。五歳の子供ですから、そこら中を走り回りたいのです。でも、病院ですから我慢しなければなりませんでした。それがとてもつらかったことを、よく覚えています。

 母は病院に泊まり込みで父に付き添いました。朝になると私と交替して、神道の教会に行って修行をしました。昼頃に病院に戻ってくると、〝神様〟が入ったままの状態で父の体をマッサージするのです。その結果、なんと、医者が切断するしかないと言っていた左腕が、一部の指に不自由は残ったものの、治ったのです! それは本当に奇跡が起こったとしか言いようがありませんでした。体の中にめり込んでいた右足は引き出されました。

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 次回は、「すべての結果には原因がある」をお届けします。


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第1弾『死んだら分かるけど、分かったら遅い』
 
第2弾『霊界はある。霊人たちはいつも共にいる』