愛の知恵袋 81
月に一度、夫婦でデートを

(APTF『真の家庭』197号[2015年3月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

“いらだち”を感じている夫婦

 「最近、イライラしていることが多いんです。それで時々爆発しては喧嘩になってしまうんですが…」。そう言って、その婦人は大きなため息をつきました。

 「どんなことが、ご不満なのですか?」

 「夫は、以前のように親切ではないし、気も利かないし、ただ同じ屋根の下に暮らしているというだけ。彼は仕事で余裕がない様子です。私も家事と育児とパートで手いっぱい。お互いにぜいたくは言えない事情だとはわかっているんですが…。要するに、愛情というものを感じないし、気持ちが全く通じていない感じがして、それでイライラするんです。実は、夫も同じような不満をもっているらしく、先日も『僕らは、いつになったら夫婦らしい夫婦になれるのかなあ…』なんてつぶやいていました。こういうのを“倦怠期(けんたいき)”というんでしょうかね…」

夫婦のすれ違いは、いつから始まるか

 離婚したいと思うほど険悪な関係になってしまった夫婦でも、最初からそうだったという人はめったにいません。結婚生活を始めたあと、どこかでギクシャクし始めて、やがて衝突が絶えない状態になり、ついには「顔も見たくない」という関係になってしまうわけです。

 では、一体いつから、なぜ葛藤が始まったのでしょうか? その時期と原因を探ってみると、実は意外にも、子供の出産を機に夫婦の間に葛藤が起きるようになったというケースが非常に多いのです。これはとても深刻な問題です。

 昔から“子はかすがい”と言われ、夫婦の絆を結んでくれる存在であったはずなのに、今では、子供が生まれた後に離婚する夫婦が増えています。

 夫も妻も子供を欲していたはずなのに、なぜか、出産後の子育て時代に夫婦がぶつかることが多くなりがちです。そこには様々な原因が考えられますが、少なくとも、結婚生活においては、この時期をうまく乗り越えるための知恵が不可欠のようです。

月に一度は、二人だけの時間を

 子育てが始まると、妻の関心はひたすら子供に集中するため、夫の事情とか欲求とかを考えるゆとりがなくなります。この時期には、夫は妻に特別な配慮をしてあげ、進んで家事や育児に協力する必要があります。ところが、ちょうどその頃、夫は職場で多忙な位置になっていることが多く、仕事に追われて疲れて帰ってくるので、妻のことを細かく気遣ってあげる余裕もないということになりがちです。

 気の利かない夫の態度にいらだちを感じている妻の言葉はきついものになり、夫もそれにカッとして不機嫌になります。いつの間にか会話が減り、性生活もなくなってしまい、相互の不満がうっ積していきます。多くの夫婦にとって、この時期に衝突が起こりやすく、その結果、愛情が冷め、家庭内別居や不倫などへ発展してしまうこともあります。このような時こそ、より親密な夫婦のコミュニケーションが必要なのです。

 そのような時、私は「月に1度、夫婦でデートをしてください」とお勧めしています。二人だけの時間をつくって、食事とか映画などでデートをするのです。1泊できれば最高ですが、近場のきれいな風景を見に行くだけでも良いでしょう。そこで、お茶や食事をしながら、くつろいでお互いの気持ちを話し合うのです。

デート実現を妨げる三つの関門

 さて、実際にデートの時間をとろうとすると、意外な伏兵に遭遇します。良かれと思って相手を誘っても、すぐには良い返事が返ってこないのです。

 妻が夫に、「きょうはいい天気だから、散歩に行かない?」と言うと「俺は、いいよ」と言ってゴロリ。「今度の土曜日、コンサートに行かない?」と誘っても、「え? 僕はいいよ」と言って乗ってきません。

 夫が妻に、「きょうはレストランにご飯食べに行こうか!」と言うと、「え? お金もったいないでしょ」で却下。「たまには、二人で映画でも見たいね!」と誘っても、「子供がいるから、無理でしょ!」と、にべもない返事です。

 こんな調子で、腰の重い相手にがっかりしたという経験はありませんか?

 夫婦のデートを実行する時、それを邪魔するのが次の“三つの声”です。

 「子供がいるから無理」「お金がもったいない」「面倒くさい」

 でも、ここであきらめてはなりません。何度でも誘い引っ張ってでも行きましょう。「子供のこと」は、中年夫婦なら問題はないでしょうし、若い夫婦でも、両親や友人に、或いは託児所にちょっとでも預かってもらえば良いでしょう。

 「お金のこと」なら、「夫婦が仲良くなること」のほうが「お金を節約すること」よりもずっと大事なことだと考えましょう。

 「面倒くさい」ということならば、「夫婦や親子の愛情というものは、面倒くさいことをしてあげなければ、永遠に育つことはあり得ないのだ」ということを思い起こせば良いでしょう。