愛の知恵袋 80
「伝統」~何を守り、何を変えればよいのか~

(APTF『真の家庭』196号[2015年2月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

年賀状をめぐる親子論争

 「うちの親は本当に考えが古くて、いやになってしまいます!」と、その大学生の女の子は怒っています。「どうしてなの?」と聞くと、「年末になると『年賀状を書け。それくらいできないと社会では通用しないんだぞ!』と言ってうるさいんです。

 『ちゃんと、メールでやり取りしているし、新年の挨拶も送っているから問題ないでしょ』と言っても、『メールなんかじゃだめだ。年賀状や暑中見舞いは社会人の常識だ。ちゃんと葉書で出しなさい!』と言ってしつこいんです」

 結局、いつも喧嘩になってしまうのだそうです。

 少し内容は違いますが、他にも同じようなことを、ある婦人から耳にしました。

 「うちの子は、全く本を読もうとしないんです。『もっと本を読まないと思考能力が付かないわよ』と言っても、『そんなことはないよ。ネットでちゃんと本も読めるし、情報もちゃんと入るんだから…』と言って、取り合わないんです。最近の若い子はテレビとネットばかり見ていて、活字の新聞や本を読まないから、それで本当に教養や思考力が付くのか心配です…」と嘆いていました。

 最近の世の中の移り変わりと、親と子の世代間のズレというか、時代感覚の違いを浮き彫りにしたものかもしれません。どちらの言い分にも一理あります。

恐ろしい速さで変わっていく生活様式

 昭和前半までの世代は、本や新聞を読んで知識を蓄えてきました。中学生のころから友人や親戚に年賀状を出すのはほぼ“常識”でした。そのおかげで、文章を書くことや読書をすることに対しての抵抗はなく、手紙やはがきを書いて人との交流を図りました。そういう意味では、“文字の時代でした。

 その次の時代には、一般家庭にも固定電話とテレビが普及し、映像から情報を得ることができ、本も活字本より漫画本の方を好む人たちが増えました。人との交流も、手紙より電話での交流が中心になりました。いわば、“画像と音声”の時代です。

 そして、最近では技術革新によって情報端末がさらに小型化、高速化、集約化され、パソコン、スマホ、タブレットなどが愛用されるようになりました。いわゆる“ネット”の時代です。人との交流手段はさらに進化して、文字も画像も音声も、スマートフォンさえあれば、全て事足りるようになりました。

“カタチ”と“本質”を見極めよう

 このように考えると、情報を得る手段や人間同士の交流方法は、今後も変化を続けていくことが考えられます。

 そうであれば、様々な「伝統」、つまり、今まで常識とされてきた慣習やしきたりについて、いつまでも過去の時代通りに守れと言っても無理があります。

 かと言って、従来の「伝統」を全て無くしても良いというものではありません。

 では、何を変え、何を守っていくべきなのでしょうか。

 その判断に当たっては、“カタチ”と“本質”を分けて考えることが賢明だと思います。たとえば、「年賀状」について考えてみますと、「はがき」という“カタチ”が絶対なのではなく、「公私にわたる幅広い人間関係を大切に維持する」ということが、最も大切な“年賀の本質”です。

 従って、「友人・知人や親族との人間関係を良好に維持する」ということが守られるのであれば、年賀の挨拶の形態は変わってもよいでしょう。

 また、「本や新聞を読む」ということについても、同様のことが言えます。

 紙製品の「本」や「新聞」を読むという“形”そのものに絶対性があるのではなく、「内外古今の多くの人々の考えや行動を見聞することによって、知識の幅を広げ、思考を深めて、自身の教養を高めること」が“読書の本質”でしょう。

 そのような本質を失わないですむ新しい方法があるのなら、知識と情報の学習方式は、変わっても良いかもしれません。

“カタチ”は変えても、“精神”は残す

 同じようなことは、社会での様々な組織についても言えるでしょう。学校にも会社にも団体にも国家にも、「伝統」や「慣習」といったものがあります。

 どんな組織でも、ある「しきたり」の形が、時代の変化や進歩についていけなくなった時には桎梏(しっこく)と化し、葛藤(かっとう)が生じます。

 その時、“カタチ”を固守しようとする人たちと、新しい時代に合わせようとする人たちの間で、確執が生じることはよくあります。

 そんな時は、変えても良いものは何であり、残すべき精神は何であるのかを、よく話し合ってみることが大切です。

 時代は変わり、生活様式は変わっても、「おもてなし」の心や、「人に迷惑をかけない」という精神、そして、「勤勉・清廉・親切」という日本の良き伝統は、世界人類にとっても貴重な遺産であり、決して失いたくないものです。