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お父さんのまなざし 4
「卒業」と「入学」

(『グラフ新天地』455号[2006年5月]より)

 男手ひとつで3人の娘を育てるお父さんの、愛溢れる子育てコラムを毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 「子どもを見守ろう……」そう決心したお父さんのまなざしは、家でも学校でも、真っすぐ子供たちに注がれています。

コラムニスト 徳永 誠

 この春、上の子が小学校を卒業し、中学に進学した。
 入学式の朝、聖書の一節がふと思い浮かんだ。

 「……夕となり、また朝となった。第一日である。……神は見て、良しとされた」(創世記第一章)

 入学式は、成長したわが子を次の段階へと送り出す出陣式のようだ。新しい朝を迎えて「うれしい」と感じるこの喜びの心は、神の創造の心情にも似たものか。

▲筆者の娘さん(当時12歳)が描いた絵より

 新しい旅立ちの歓喜をかみ締めるまでには、一定の成長期間が存在する。喜びは、その過程で繰り返された苦労の結実でもある。成長の途上では思いがけない出来事と遭遇することもたびたびだ。

 こんなことがあった。

 長女六年生の運動会のひとコマである。
 六年生全員による「組み体操」は、例年、紅白対抗リレーと並ぶ運動会の花形種目であり、プログラムのクライマックスを飾る。運動会皆勤賞の私は、いつものようにカメラをしっかりと構えながら、寸分も見逃すまいと、トラックを挟んでわが子の至近距離に迫った。

 六学年それぞれが披露してくれる種目を見比べると、その差は歴然としている。最高学年の子どもたちは実にたくましく凛々しかった。
 バックに流れる音楽の効果や親ばかぶりを差し引いても、彼らの心身共の成長の足跡は、圧倒的迫力で迫る。最後の一瞬まで固唾を呑んで見守った。演技が終わった瞬間、私の目には涙があふれていた。

 「あれ? 私はなぜ泣いているのだろう? 泣きたくなるような思いなど、少しも感じてはいなかったのに……」

 振り返ると、後ろには参観者がずらり。不意に大粒の涙を流すお母さんと目が合った。互いの泣き顔を見合っては、ばつの悪さに思わず笑ってしまったけれど、涙は止まってはくれなかった。
 感喜の情を忘却させるほどに、父のまなざしは成長したわが子の姿の中に溶け込んでいたのかもしれない。思いがけず流した感涙は、わが子が「新しい朝」を迎えた証しでもあったのだ。

 人は「卒業」と「入学」を繰り返して大人になっていく。それを見守る親のまなざしは、神様が天地創造の過程で抱かれた事情や心情に似てはいまいか。私はふと、地球を両手いっぱいに抱えておられる親なる神様の姿を想像した。

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 次回もお楽しみに!