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創立60周年記念企画 第1弾
日本統一運動史 4
日本留学時代③

 日本家庭連合(旧日本統一教会)創立60周年記念企画、第1弾は『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』をお届けします。
 創立40周の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第一章 メシヤとしての準備時代における真の御父様と日本
(1941年から1945年8月15日まで)

二、 日本留学時代(1941.4.1〜1943.10)

(4)原理解明
 原理を解明された20代前半の時期に、真の御父様は、日本にもおられました。そういう意味からも、日本の地は、真の御父様にとり、忘れることのできない地となりました。

1.  御 言

①「原理を発見したのは、20代前半です。…27歳前に、すべてのことを完結させました。そして行動を始めたのです。」(1999.4.16)

②「神が存在するや否や。…その過去のことみんな思い出して真剣になっちゃうね。…神のことそのように考える時に…自分ということを考える。自分はどこから? お母さんからか。…人間のはじめはどうなっているか? …神様本当に作ったかとなるんですね。…それで神と自分との関係を結ぶには…何の関係だろう?…神様と人間との関係。その関係は何を…キーポイントとしておるかということをね。神の問題。そこから問題を引き出してその問題を解いて来た。…神の希望は何か?…神の事情は何か?…だから神の深い深い所に入って祈るというと『宇宙の根本は何か?』聞いてみるというと、答えは簡単だ。『親子だ!』…そして神をはっきりとわかれば創造原理というのは自然と出てくる。創造原理、私の心と体とはこういう関係になっているんだね。神を中心とする相対基準になって四位基台を保ち得るんだね。それを永遠に永続的に関係持つにはその授受作用をしなければならないんだね。…まあそのように神をはっきり知れば、その原理が自然と…」(1965.10.7)

③「原理が明かされるまでは、数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の奥義について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのような世界でした。そして、その闇の中に昇った明るい太陽のごとくに現れた先生は、陽光が万物にくまなくさし通ってすべてを照らし出すごとく、すべての宇宙の原理を詳細に明かしました。…先生は、真理を理論的に解明し発表しただけでなく、真理に生きた人です。実人生における体験を通して宇宙の真理を知ることができました。」(1977.5.1)

④「私が生まれた1920年は日帝植民地治下にありました。そのとき私は強大国に踏みにじられる弱小民族の苦痛と悲しみが何であるかを骨髄にしみるほど体験したのです。私が青少年時代であったその当時には、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救済する道が何であるのかを深刻に悩まずにはいられませんでした。

 結論は政治や軍事、経済力による救済は、表面的、一時的なものにすぎないのであり、宗教による救済だけが最も根本的な道だということを悟ったのです。なぜならば宗教を通した神様の救済摂理は、悪なるサタン勢力が奪っていったすべての所有権を反対されながら逼迫(ひっぱく)を受けながら伝授される戦略だからです。悪の勢力は善を打ちながら滅びていくのであり、善は打たれながら悪を自然屈伏させる道であるということを教えるのが宗教なのです。ですから私は青少年時代以来、今日まで唯一筋宗教的真理の悟りと教え、その実践運動に全生涯を捧げてきました。」(1992.4.10)

⑤「心と体が理想的な神様の真の愛でもって個体の内で和合一体するのと同じく、心と体の拡大連結である心的世界と体的世界も、相克闘争関係ではなく、神様の愛でもって調和をなさなければなりません。心的世界を代表するのが宗教と思想の領域であるならば、体的世界を代表するのは政治と経済の領域です。…人間において心が主体であり体が対象であるように、宗教と政治の関係も主体と対象の立場で調和、統一圏を神様の真の愛でもって成してこそ、理想社会が到来するようになる」(1991.8.27)

⑥「宗教は、一般的な社会倫理や社会の方針を超越したものですが、私たちは社会における宗教の機能を無視すべきではありません。宗教者は、現実の問題に関心を持ち、神の意志を具体的解決に適用すべきです。さらに宗教は、霊的刷新を鼓舞し、政治、経済、社会政策、教育に責任を持っている人々に、高潔な価値観を与えるべきです。…真の宗教は、世俗世界の趨勢に従うことなく、ただ、神の御旨を中心として、たとえ反対や迫害を受けたとしてもそれに屈せず、世界を啓発し、世界の人々を指導しなければなりません。」(1985.11.28)

⑦「文総裁はこの原理を探すために、満身創痍(そうい)になって、一日に12時間も14時間も祈祷したことが何年も続きました。その悲惨な姿を、皆さんは知っていますか。原理の本には血と汗と涙が絡み合っています。1ページごとににじんだ先生の血と涙が、皆さんのような若者たちに訴えているということを知らなければなりません。先生が、青春を犠牲にして投入したのです。血と涙が皆さんに訴えているというのです。先生は、聖書だけを見て原理を探したのではないのです。『創世記が堕落の章ならば、黙示録は復帰の章だ。生命の木がこのようになったならば、生命の木に復帰されることだ。それが合わなければ聖書は間違いだ』と考えました。なぜでしょうか。種から出たものは、種に返るのです。これが合わなければなりません。種から出てくる芽が同じでなければならないし、それが上に伸びていかなければならないのであって、横に伸びていってはならないのです。そのような観点から見る時、今日の原理の教えは、推理的方法を通して摂理史観に一致するというのです。宗教の中の主流宗教はキリスト教であらざるを得ないということを知ったがゆえに、私のように賢い人は『キリスト教のてっぺんを引き抜いてみよう。根を引き抜いてみよう』と考えたのです。そうしてそれを引き抜いてみたところ、天地創造がどうで、神様が何をして、神様がなぜ愛を好むかということが明らかになったのです。最初から、聖書という冠をかぶり、聖書を標本としていたなら、このような道を開拓できなかったでしょう。

 妥当な理論を中心として、私たちの心情世界に関係する内容を中心として、最高に深い谷になることのできるものが何かということを探り出してみる時、そのとどまることのできる錨(いかり)の中の最高の錨になるのが、まさに心情なのです。誰かが私に教えてくれたわけでもないのに、一人でこのようなことを体得して体系をつくって、ぎゅっとつかんで袋に詰め込んだのです。夢のような話です。

 神様は、私には愛する神様ではありません。無情な神様であり、無慈悲な神様です。同情してくれません。同情すれば、サタンが讒訴(ざんそ)するからです。死の場においても、自ら開拓するようになっているのです。教えてくれないのです。そのように難しいことです。それを全部掘り下げ、体系をつくらなければならないのです。私のような人は、ものすごい人なので、そのような体系をつくったのです。その世界がどんなに膨大であるか、とても手を着けることができないのです。数多くの哲学者がいて、数多くの聖賢がいたけれど、このような問題を解決できませんでした。霊界の具体的な内容を知って、昔の道人たち、教祖たちにみな会って、討論しながら、天上世界のすべてのことを体験して、天法によって善悪をすべて明らかにし、彼らを屈伏させなければなりません。そうして、最後には神様の所にまで行って、定義に立脚して弁論し天上世界の印を受けなくては、地上で統一できません。」(『真の御父母様の生涯路程』①、P.199〜200)

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 次回は、「日本留学時代④」をお届けします。


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