愛の知恵袋 69
生ある限り、夢をもって

(APTF『真の家庭』183号[2014年1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

今、自分の生活に“楽しみ”がありますか?

 本誌昨年(2013年)の9月号では、「夢ができれば、スイッチオン」というテーマで、子供達一人ひとりに夢を持たせることが、いかに大切であるかということについて触れました。今回は、“大人にとっての夢”というものについて考えてみたいと思います。

 ここで、一つ質問です。

 「いま、あなたは、毎日の生活に“楽しみ”を感じていますか?」

 もし、「はい」という答えができるなら、なにも問題ありません。生活に張り合いや楽しみがあるということは、何らかの目標があり、前向きに生きている証しですから、“精神的健康度”は満点です。

 しかし、もし、そうでない場合は、この辺で一息ついて、自分の心を整理してみる必要があるかもしれません。

“体の張り”と“心の張り”

 若い人や健康な人の肌には、“張り”と“つや”があります。しかし、歳をとったり病気になったりすると、肌に張りやつやがなくなります。

 同じようなことが、心の世界でも言えるような気がします。

 私達は、心に何か目標がある時には生活に“張り”があり、生き生きとしています。しかし、目標を失うと、生活に張り合いがなくなり、周囲の人達が見てもなんとなく精彩を欠いて見えます。

 “寄る年波には勝てぬ”という言葉があるように、誰でも年をとれば、肌の張りやつやは衰えていきます。しかし、心の世界では全く別です。

 どんなに年を取っても、心に情熱を持って生きている人は、精彩を放っています。

“あこがれ”を持てば、“楽しみ”が生まれる

 では、そのような意欲や楽しみはどこから生じるのか…というと、何らかの“夢”や“ビジョン”を持つことによって得られます。

 驚くことに、脳科学者によれば、私たちが心に夢を持ち、強い“あこがれ”を抱くと、その瞬間から脳はあらゆる関連情報を集め始め、それを達成するために働くようになっているというのです。

 私達は生活に希望がなくなると、職場でも家庭でも愚痴が多くなり、友人や同僚を誘っては組織への不満を言い合ったり、社会や為政者の批判に興じるようになりがちです。しかし、冷静に考えてみると、そういう時の自分は、何かに意欲的に取り組むというよりは、自分を持て余してイライラしているような時が多いものです。

 どんなにささやかなことでも、自分なりの夢を持ち、目標ができると、生活に張り合いが出てきます。そんな時は決して、現実の不満を他人の責任にしようという気にはなりません。

 たとえどんな厳しい境遇に置かれても、今の自分にできることを探し出し、それを使命と思って前向きに生きていく人もいます。不思議なことに、そういう人には、やがて、もっと良い環境や位置が与えられるようになっていきます。

今こそ必要な、大人の“夢づくり”

 私は、“人間とは、常に夢をもち、それを実現させていく存在である”と思っています。動物は、与えられた環境に順応して生きてゆくだけですが、人間は違います。環境に適応することにとどまらず、常に、より大きな感動を求め、夢をもってそれを実現させていこうとします。そのようにして、今日まで精神的文化と物質的文明を無限に発展させてきました。

 「青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ち方である」

 これは、アメリカの実業家で詩人のサミュエル・ウルマンの言葉です。

 たとえ、何歳になろうとも、夢をもって、それに向かって生きているのなら、まさしく“青春”です。反対に、たとえ若くても、夢や目標がなく、ただなんとなく毎日を過ごし、愚痴ばかり漏らしていれば、それは“精神的老人”なのです。

 “大人と夢”との関係には、4つのパターンがあります。

 第1、昔も今も、夢らしきものがなく、何かに燃えたという記憶がない。

 第2、かつては大きな夢があったが、今は、冷めてしまった。

 第3、若い時は現実に追われて生きてきたが、今は夢を持っている。

 第4、若い時、胸に抱いた夢があり、今もなお熱意をもって追い続けている。

 さて、私はこの中のどれに当たるだろう?……じっと、考えてみたいものです。

 史上最高齢80歳にして、3度目のエベレスト登頂を成し遂げた三浦雄一郎さんは、アフラック日本創業者・大竹氏との対談でこう語っています。(月刊致知457号)

 「自分で夢をつくり、その夢を実現したい、目標を達成したいという思いを持つことが、人生を楽しくし、その寿命を保たせる秘訣ではないでしょうか」