2019.05.13 17:00
信仰と「哲学」24
善について~衝撃の「四位基台」
神保 房雄
「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。
人間にとって、善く生きることが最も大切であると考え、「善とは何か」を求めたのがソクラテスでした。その弟子プラトンは、善の本質は「善のイデア」であるとし、その所在は現実にはなく、イデア界、すなわち神(造物主)の「設計図」であるとしました。
ところがプラトンの弟子アリストテレスは、理想の在り方や生き方(善く生きること)の本質は、個々の生き物や人間など、現存する全ての個物・個体に内在するとし、それは、「作用因」「目的因」「形相因」「質料因」の組み合わせからなっているとする、「四原因説」を主張したのです。
つまり、個物がそれ自体において本質を持っており、人間においては、各人が自分の「内的必然性」(四原因の組み合わせから出てくる指向性)に従うことによって「自己実現」することが理想の生き方=善く生きることであるというわけです。歴史上に多くの哲学が生まれましたが、基本的内容はここに凝縮されていると言っていいでしょう。
「善とは何か」を求めて、もがきながら統一原理に触れ、「神との出会い」体験によって学びの姿勢を転換することができた私の小さな体験を以前、紹介しました。
そんな自分にとって『原理講論』の次の一節が重く心に残りました。
「四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる」(『原理講論』55頁)という箇所です。
「善とは何か」についての答えが明確に記されていたのです。
「四位基台は、神が運行できる根本的な基台」。この意味は神と共に生き、神と共に生活することができる「場」であるという意味になります。
「善のイデア」とは「四位基台」であり、現存する個物・個体も「四位基台」の造成によって「在るべき姿」となるというわけです。衝撃でした。
『原理講論』には、「神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用」といい、「正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる」とあります。
四位基台には、個人的四位基台、家庭的四位基台、主管的四位基台があり、神の祝福として表現すれば、第一祝福(個性完成)、第二祝福(子女繁殖)、第三祝福(万物主管)となります。
この三大祝福は現実世界において実現されなければならず、それが地上天国であるというのです。