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幸福への「処方箋」33【最終回】
第五章 堕落性からの脱却
④堕落性本性4
――犯罪行為を繁殖する

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野村 健二(統一思想研究院元院長)・著

(光言社・刊『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』より)

④堕落性本性4
――犯罪行為を繁殖する
 「もし、エバが堕落したのち、自分の罪をアダムに繁殖させなかったならば、アダムは堕落しなかったであろうし、エバだけの復帰ならば、これは容易であったはずである。しかし、エバはこれとは反対に、自分の罪をアダムにも繁殖させ、アダムをも堕落させてしまった」(講論124頁)。

 この堕落性本性の「繁殖」とは合性体(主体と対象の調和の実現)、新生体を形成することを意味し、正分合作用の「合」に当たるものです。それに対して、堕落性本性の「主管性」は主体と対象の立て方、すなわち、正分合作用の「分」の過程に当たります。さらに、堕落性本性の「自己の位置」は自分が目指す「目的」、すなわち、正分合作用の「正」を規定するものであり、堕落性本性の「神の立場」は、この「正」を立てる根拠である神の心情(愛)と創造目的に対応するものです。

 こう見てくると、統一原理でいう堕落性本性とは、「正分合作用」という見地から順に上から下に見て得られた特性だと思われてきます。

 このことについて説明すると、まず「神の立場」とは、神ご自身が、ご自分とその神の創造物とが神の創造目的どおり、すべて喜び(幸福)に満ちるようになさろうとすることで、「人間」は神の「子」(それが真の父母を中心として一つの家族を形成するのが本来の在り方)、「天使」は神の「僕」(人間の僕でもある)、さらに人間自体の存続と愛の対象として「万物」があり、それが天使(霊界)→万物(自然界)→人間という順序で造られました。これが本来の正分合作用の基盤となる大前提です。

 この「神の立場」に対して、天使長ルーシェルはそれと対立する「自己の位置」を強引に押し立てようとしたのが堕落そのものの始まりです。すなわち、神(親)→人間(子)→天使(僕)という位置関係の大前提(神の立場)を守ろうとはせず、「自分が天使世界において占めていた愛の位置と同一の位置を、人間世界に対してもそのまま保ちたい」(講論109頁)という不義な動機(目的)から、神によって定められた「僕の位置」を離れ、この目的を実現するために、「それ(善悪を知る木の実)を食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知るものとなること」ができる(創三・5)とエバをだまし、ルーシェルとエバとの「共通目的」をかかげて、エバと霊的な性的関係を結んだわけです。

 この不義な動機(目的)のうちには、「神の立場」とは対立する「位置」の関係がその根本をなすものとして初めから含まれていました。すなわち、「神の立場」に立てば、神の子――エバは、神の僕であるルーシェルの主体、ルーシェルはエバの対象でなければならないのに、ルーシェルはその神の立場と対立する目的(罪)をエバに提示し、エバをそれに従わせようとしました。

 これは自分の主体エバを自分の対象たらしめようとする行動です。そのため、ルーシェルの反神的目的にエバが従うと、神はその非原理的な行動に干渉することができず、その結果、ルーシェルは現実にエバの主体、エバはその対象となって、その支配(主管)関係が逆転してしまったわけです。これが「主管性転倒」にほかなりません。

 その後、エバは主観的には、自分の本来の相対であるアダムとの相対関係を取り戻すことによって、神のもとに再び戻りたいという願いのもとに、しかし「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創世記二・17)という神の厳命は無視して、「それは食べるに良く、目には美しく賢くなるには好ましい」(同三・6)という誘いの殺し文句をもって、アダムとの間に位置を離れた「共通目的」を設定し、本来はアダムの対象である自分を主体の立場に、アダムを対象の立場に立てるという「主管性転倒」のもとに性的な授受作用を行い、ルーシェルとの間に結んだ「犯罪行為」を繁殖させました。

 こうして、「神の立場」(本来の正分合作用の大前提となるべきもの)から離れ、本来の「自己の位置」とは相容れない、主体と対象の逆転した「共通目的」を設定し、その結果、本来の対象を主体、主体を対象の立場に立てるという「主管性転倒」を行い、さらにこうした一連の「犯罪行為」(罪)を他の存在(人間や霊)との間に「繁殖」させていくというのが、堕落性本性の本質です。

 このように、「神の立場」(本来の正分合作用の大前提)、「自己の位置」(正分合作用の「正」(目的)における主体・対象関係)、「主管性転倒」(正分合作用の「分」の転倒状態)、「繁殖」(「合」の転嫁)と順に分析していくと、堕落性本性の構造がよくつかめるようになり、そこからの脱出の仕方も分かってくるようです。そうすることが幸福実現の何より確かな道だといえましょう。

 ここで『原理講論』に、「犯罪行為(罪)を繁殖する」堕落性を脱ぐためには、「天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場を取り、アベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つべきで」ある(講論295頁)と書かれていることに、特に注目することが大切です。

 最後に強調しておきたいのは、ここで「メシヤのための基台」を破壊する不信仰と堕落性本性の根本となっているのは「知」ではなくて「情」であり、それを克服するためには、これら、真実に幸福になるための「処方箋」ともいうべき方法を、単に知的に理解するだけでなく、情的に、「神の立場に立っての愛」をわき起こすことが必要だということです。
 その点で不足を感じたときには、深く切実に祈ってみることが大切でしょう。

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 今回で『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』は最終回です。ありがとうございました。