https://www.kogensha.jp

幸福への「処方箋」31
第五章 堕落性からの脱却
②堕落性本性2 
――自己の位置を離れる

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第4弾、『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

野村 健二(統一思想研究院元院長)・著

(光言社・刊『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』より)

②堕落性本性2 
――自己の位置を離れる
 「ルーシェルは、神の愛をより多く受けるために、天使世界においてもっていたと同じ愛の位置を、人間世界においても保とうとして、その不義なる欲望によって、自己の位置を離れ、堕落した」(講論123頁)。

 ここで「天使世界においてもっていたと同じ愛の位置」というのは、最高の愛の主体の位置で、こういう立場に立とうとするというのは、授受作用をするに当たって誰に対しても常に主体の立場に立って行おうとすることを意味します。

 メシヤも誰に対しても主体の立場で授受しようとされますが、それは神に対して子として一〇〇パーセント対象の立場を確立されたからです。

 真の父母――メシヤは神に対して一〇〇パーセント対象の立場に立っておられるので、我々が真の父母の対象となれば、そのまま神の対象となることができます。

 それに対してルーシェルは、もともと人間の主体にしようという意図のもとに神が創造された存在ではなく、人間の僕として、人間を賛美し、召し使いの役割を果たすためにつくられているので、ルーシェルが人間の主体の位置に立とうとするのは、神の目的に反する「主管性転倒」の罪であり、神の立場に立つ行動ではないのです。

 ルーシェル、あるいはルーシェルの手下――サタンは、自分が神の目的に従って行動していないことを悟られまいとして、神に従うことを目的とする宗教が確立しているところでは、神に従う者のふりをして、その宗教の最高の指導者となり、誰に対しても愛の主体となって授受作用をするという欲望を実現しようとします。

 宗教の力が弱いところでは、開き直って、神の存在を根本から否定する無神論、唯物論の立場からその中心存在となり、最高権力者として、同様に誰に対しても愛の主体の立場から授受作用をしようとします。マルクス主義がこういう立場の典型です。

 他方、このような独裁が嫌われるようになったところでは、多数決を基本原理とする民主主義を採用するようになります。ここでは、サタン的野心家もすべての者に対して主体の立場を採るのは無理だとあきらめて、万人が基本的には平等だと見る「兄弟主義」を信奉するようになります。

 無神論、唯物論もダーウィンの進化論のような穏やかなものとなるのが通例です。ここでは、偶然によって生ずる突然変異によって人間のような高度の精密な構造や機能までが生じてくると、無反省に信奉されているのが特徴です。しかし、実際に突然変異で生じてくるのは病気や欠陥ばかりで、これによってもっと優れたものが生じるという事例はほとんどありません。現実の生物は人間を初めとして、自動車が合目的的な 緻密(ちみつ)な設計で造られ、偶然によって生ずるのは故障だけであるように、その高度の性能は合目的的で知的な設計によって生み出され、偶然によって生ずる突然変異は欠損を生み出すだけのように思われます。それにもかかわらず、突然変異が長時間蓄積されれば高次の合目的的な構造や機能がひとりでに生じて来ると信じるのは、神の存在を否定する無神論、唯物論を擁護するための無意識の迷信としか思われません。

 それに対して統一原理は、堕落した人間を神が緻密な蕩減復帰の設計のもとに、最終的には、イエスの延長上で再臨のメシヤ――「真の父母」を送ることによって完全に救済するということを、正に科学的な精密さで証明しています。

 この説き明かしによって、人類を最終的な救済に導く真の父母の到来と、真の父母と紛らわしい、宗教的、あるいは非宗教的な独裁者の正体が浮き彫りにされてきます。また、独裁と独裁を否定して多数決を根本原理とする兄弟主義――民主主義のいずれもが、それだけでは我々を完全な幸福に導くものではなく、再臨のメシヤ、真の父母を中心として主体と対象を決定し、そのもとで授受作用を行うことによってのみ、幸福が保証されることがはっきりと分かります。

 もしそうだとすれば、神のもとにある再臨のメシヤとの関係のみによって決定される本来の「自己の位置を離れ」、神を無視した自己中心の不義なる欲望に従って、勝手に愛の主体の立場に立って授受作用をすべきではないということが分かります。そうではなくて、自分よりも再臨のメシヤと近い関係にある者を「仲保」に立てて、彼を通じて神の愛を受けようとすべきなのです。

 「天使長が、神にもっと近かったアダムを仲保に立て、彼を通じて神の愛を受けようとはせず、かえってアダムの位置を奪おうとして堕落してしまったので、『自己の位置を離れる堕落性』が生じた。ゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの位置にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守るべき」(講論294~295頁)なのです。(続く)

---

 次回は、第二部 第五章の「③堕落性本性3 ――主管性を転倒する」をお届けします。