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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 37

自然の声を聞く

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第十章】心の門を開き、自然の声に耳を傾ける

自然の声を聞く
 文鮮明先生は、「神様は自然を通して私たちに語りかけます」(自叙伝、185ページ)と言われ、「心の門を開き、自然の声に耳を傾けるとき、自然の中から伝わる神様のみ言(ことば)を聞くことができる」(同、185ページ)とも言われます。私たちの心の門を開くと、自然を通して語りかけてくる神様の声を聞けるというのです。自然の「ささやき」を聞けるというのです。

 自然万物にも純粋な心があり、私たちに語りかけているのです。文鮮明先生は幼少の頃から自然の声を聞き、自然に語りかける、「自然との交感を楽しめる人」となっていました。そのため、ある村に行くと、村人と会わなくても、農作物と心を通わせるだけで村人の心根がわかると言われます。

 「穀物が嘆息するのか喜ぶのかを見れば、村人の人となりを知ることができるのです」(同、51ページ)

 また、世界平和のために身を犠牲にされながらも、いわれのない誤解と中傷のために幾度となく牢獄生活を余儀なくされました。しかし、牢獄生活でも神様の愛を感じて生きられたのは、自然万物と交感する楽しみを体得されていたためでした。

 「韓国と米国、さらには北朝鮮で何度か監獄に入っても、他の人のように寂しいとかつらいとか思わなかったのも、すべてその場所で風の音を聞くことができ、共に暮らす虫たちと会話を交わすことができたからです」(同、51ページ)

 人間は本来、自然を通して語りかける神様の声を聞き、あるいは自然そのものの心の叫びを聞くことができるはずなのに、それが聞こえなくなったのは、心の門を閉ざしているからなのです。生活に追われて、いつの間にか心を閉ざして自然万物との間に壁を自らつくってしまっているのです。自然はいつでも愛を差し伸べているのに、心の硬い壁がそれを拒んでいるのです。(続く)

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 次回は、第十章の「掃除は万物への愛の実践です」をお届けします。


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