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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 36

自然万物は神様の贈り物

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第十章】心の門を開き、自然の声に耳を傾ける

 文鮮明先生は、「自然は神様が下さったものです」と言われています。神様からの愛のプレゼントが自然万物だというのです。したがって、すべての万物には愛が込められているのです。

 ある人は、神様は目に見えないので信じられないとか、信じてはいるが愛を感じられないと言います。しかし、神様は、自然万物に姿を現して、人間を愛してくださっているのです。文鮮明先生は「万物は神ご自身を表す象徴的な存在であり、人は神に似た実体的な存在です」(自叙伝162ページ)と言われています。神様の姿そのものでなくても、部分的に姿を現しているのです。神様はひたむきに人間を愛してくださっています。我がありません。人間のために生きておられるのです。それゆえ、自然万物にはそのような神様の愛が込められているのです。

 私たちは、万物をお金で買ってきたものと考えます。高価なものは大切にして、安いものは適当に扱ったりします。では、自然万物はお金で買える商品なのでしょうか? そうではありません。自然万物はどのようなものでも、神様がお造りになったものです。それゆえ、神様の似姿をしており、神様の愛がこもっているのです。お金では買えない貴いものなのです。

 文鮮明先生は道端に咲く花が博物館の展示品よりも貴いと言われます。

 「道端に咲いたタンポポ一本が天下の黄金よりも貴いのです」(同、163ページ)

 きょう咲いて、あすには散ってしまう花弁一枚も、宇宙に一つしかないのです。神様の愛の花弁なのです。同じ花弁は永遠に咲かないのです。

 自然万物を神様の贈り物として愛を感じる心が大切です。もし、そのような心があれば、私たちの住んでいる住居は神様の愛の園になるのです。

 自然万物の中で最も神様の愛を表しているのが空気です。神様と同じように姿が見えません。でも、実在しています。空気は人間やあらゆる生命の根源でもあります。私たちは空気によって生かされています。文鮮明先生は「空気は神様の愛である」と言われたそうです。

 私たちは、神様の愛を吸って生かされているのです。私たちがそよ風に触れたとき、神様の愛に触れたのです。温かい風に触れたとき、神様の愛に抱かれたのです。

 水も神様の愛を強く表しています。水はどんな器にも、自分の姿を変えて入ります。コップに入ればコップの形となって人の喉を潤します。洗面器に入れば、丸い姿に変わって洗顔します。風呂に入れば体全体を洗います。水は人を愛する心しかないのです。我がありません。それで姿を自由に変えられるのです。汚れて、最後に下水道に流れていきます。ひたむきに人のために生きているのです。

 蛇口から出るのは神様の愛なのです。水で顔を洗ったのは、神様の愛に浸ったのです。そのように感じられる人を、文鮮明先生は「自然との交感を楽しめる人」(同、164ページ)と言われるのです。

 人格者とは、教養が豊かで人徳が高いだけでなく、自然万物の中に神様の愛を感じ取ることのできる人のことなのです。(続く)

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 次回は、第十章の「自然の声を聞く」をお届けします。


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