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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 25

良心は幸福の先生

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第七章】私は今、正しく生きているか

良心は幸福の先生

 では、人生を正しく導く先生はどこにいるのでしょうか? もう子供も孫もいる人は、父母も、先生も、友人も数少なくなっています。真の幸福教習所があれば、すぐにでも行きたいところですが、ありません。真(まこと)の父母、先生、友人がいなければ、幸福になれないのに、どこにもいない。どうしたらいいのでしょうか?

 心配ご無用です。幸福に導く真の先生はいます。それもあなたのすぐそばにいるのです。いつでも会えます。そして的確に指導してくれます。あなたが謙遜に耳を傾ければ、ではありますが……。それが、あなたの良心なのだと文鮮明(ムンソンミョン)先生は言われるのです。

 「自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です」(自叙伝、234ページ)

 私たちを最も愛し幸福に導こうとしている真の先生。それが、「良心」だというのです。

 運転免許や英会話習得のように教習所に通って、授業料も払わなくてよかったのです。ある意味では、とってもお得なことではありませんか。必要なことは、良心に耳を傾ける謙遜さと、それを実践する勇気さえあればいいのです。良心は、私たちの事情を熟知していて、直ちに「これをしなさい、それはしてはならない」と指導してくれます。時には温かく、時には厳しく指導してくれます。したがって、真の幸福になるためには、「『良心』に、『私は今、正しく生きているか?』といつも尋ねなければなりません」(同、234ページ)

 それゆえ、良心が「やるな」と絶叫しているのに、あえて実行すれば、良心を泣かせることになります。自分のために二十四時間働き続けている良心を悲しませ、傷つけることになるのです。それは、自分の人生を不幸にすることになるのです。文鮮明先生は「良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです」(同、234〜235ページ)と警告されています。

 ところで、良心は、いつも「真の愛に生きなさい。自分を犠牲にして、神様と人のために生きなさい」と命じます。この良心の命令に、私たちは素直に従えないときがあります。

 なぜなら、もう一つの心があるからです。私を不幸に陥れる心、すなわち自己中心の心です。この心は自分のために人を犠牲にすることさえ要求します。「自分さえよければいいではないか」と強調します。この心を、良心に逆らう心なので、邪心といいます。

 邪心は、人のために生きようとすると、「面倒くさい」、「何の得になる」、「時間の無駄だ」、「疲れる」、「ばかくさい」、「もっと自分を大切にしろ」などとささやきかけ、良心の行く手を妨害します。確かに、良心の命じることは、「ばかくさい」、「何の得にもならない」ことが多いのです。

 文鮮明先生の若き日の逸話があります。

 「学校に行く途中、息も絶え絶えの人に出くわしたことがあります。かわいそうに思うと足が止まってしまい、その人を背負って二キロほど離れた病院に向かって走り出しました。運良く財布に入っていた学費の残りで治療費を払うと、あとはもうすっからかんです。今度は自分の学費が払えなくなり、学校から督促を受けることになりました。それを見て、友人がお金を一銭、二銭と集めてくれました。その時の友人は生涯忘れられません」(同、121ページ)

 文鮮明先生は常に良心に従って生きてこられて、「平和を愛する世界人」になられたのです。(続く)

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 次回は、第七章の「私は正しく生きているか」をお届けします。


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