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誤解されたイエスの福音 25

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。

野村健二・著

(光言社・刊『誤解されたイエスの福音』〈2011111日初版第1刷発行〉より)

第二章 イエスの本来の使命

五、イエスの復活をめぐって

パウロの信仰義認の矛盾
 問題は、人間に愛と神への信仰がなく、悪い行いをすることで、そのために「死ぬ」というのではなく、肉体の死後、地獄に行かざるをえなくなるということなのです。

 文鮮明(ムン・ソンミョン)師は言われます。「キリスト教徒(パウロ教徒と言う方がもっと適切でしょう)たちは『イエス様を信じれば永生する、救われる』と言うが、とんでもないというのです。愛でだけ救いを受けるのです。真なる人だけが神様の愛の同伴者であるために、真の愛をもてば永遠に暮らすことができるようになっています(太字は筆者)」(『天聖経』「地上生活と霊界」566頁)。

 パウロも一番大事なのは「信仰」ではなく「愛」であるということが実は分かっていたのです。「わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」(コリントⅠ132)。

 これほどまでに信仰より愛が大切だと分かっていながら、信仰がすべてだという、この認識と矛盾する「信仰義認」などを、どうして彼は唱え出したのかと、ここでまた反問せざるをえなくなってきます。

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 次回は、「家庭の重要さ」をお届けします。


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