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内村鑑三と咸錫憲 16
『原理講論』にも通じる咸錫憲の歴史観

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 今回は咸錫憲が『意味から見た韓国歴史』で説いている、歴史の三要素について解説する。

 彼は歴史を構成する三要素を、①地理 ②民族の特質 ③ハナニム(하나님/韓国語で“神様”の意味)の意志であるとする。
 歴史を演劇に例えれば、地理は舞台であり、民族は俳優であり、ハナニムの意志が脚本であるというわけだ。

 咸錫憲は歴史を担うのは個人でも階級でもなく、民族であるとする。
 歴史とは、韓半島という舞台で、韓民族という俳優が、ハナニムの書いた脚本に従って演じようとするドラマなのである。この中で最も重要なのはハナニムの意志である。

 地理的に見ると韓国はアジア大陸と日本列島の間に挟まれた中間位置にあり、人々が往来する道の要所に当たる。
 それ故に韓国は常に外部の侵入を受け、独立を維持するのが困難であった。これが韓民族の苦難の環境的要因である。

 次に、韓国人の民族としての根本特性は「仁」であり、その本質は優しさにあるという。
 かつて他国を侵略したことがなく、外国人を非常に尊敬し、礼儀を尊ぶ特性が、もともと韓国人には備わっているというのである。

 しかし咸錫憲は韓民族を無条件に礼賛しているわけではない。
 こうした根本特性は、もともと民族に備わっていたものであるが、歴史的な試練の中でその本性がゆがめられ、「いったん目を現在に向けると、まったく別の民族をみるような気がする」(『意味から見た韓国歴史』、9596ページ)というほどに失われてしまっていることを嘆いているのである。

 彼は韓民族の歴史を「中途で変更された脚本だ」(同、97ページ)と言っており、これまでの歴史はハナニムが書いた脚本から外れてしまった結果であるとする。だからこそ、民族の病を治そうとして、ハナニムは苦難の道を与えるようになったのである。

 内村鑑三は、西洋と東洋を結ぶ「飛び石」のような位置にある日本の地理的な条件から、東洋と西洋の媒酌人としての「日本の天職」を発想した。
 そして日本古来の美徳が結晶した「武士道」こそ、世界に誇るべき民族の特性であるとした。
 咸錫憲はこの発想を自民族の歴史に当てはめて深く考察したのであろう。

 『原理講論』も再臨論において、地理的要件と民族の特性から韓民族を選民であると論じている。
 すなわち文明の移動について概観し、韓国であらゆる文明が結実するという地理的要件を述べるとともに、韓民族が一度も他国を侵略したことがない善なる民族であり、苦難の道を歩んできたために、神の心情の対象となったと説くのである。