2025.03.22 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 43
文鮮明師と共に全米の牧師たちが一つになる
稲森 一郎
根拠のない脱税容疑の裁判を巡って、文鮮明(ムン・ソンミョン)師を支援する運動が高まる中、1984年6月11日、ニューヨーク地裁のジェラルド・ゴーテル判事は、当初予定の6月18日の文師収監を32日遅らせて、7月20日とすることを明らかにしました。
一方、文師裁判の違法性は米議会でも問題にされるところとなり、1984年6月26日、米上院司法委員会憲法小委員会が主催する「宗教の自由に関する公聴会」(米国史上初)が開かれました。
オリン・ハッチ委員長は、文師をはじめ12人の証人を喚問しましたが、その結果、「文鮮明師の訴追について、米政府が憲法違反を行った可能性が極めて強い」として、司法省に起訴決定の過程を公表するよう要求する、と述べました。
疑いの内容は、文師に対する起訴決定は当初、司法省刑税部(脱税担当)の担当官の3人が「刑事事件を立証できないため起訴不能」との判断を下したにもかかわらず、脱税問題の専門家でもない司法次官補がこれを無視して強引に起訴決定を行ったというもので、何らかの政治判断があったことは疑う余地がないということです。
ハッチ委員長はスミス司法長官に宛てて、6月28日と7月18日の2度にわたって書簡を送り、事の真相をただしました。
しかしその回答がないまま、7月18日、ニューヨーク地裁は、文師に対する減刑の申し立てを却下。文師は7月20日午後11時、コネティカット州のダンベリー連邦刑務所に収監され、1年半の刑に就きました。
文師収監により、文師を支援する動きがより一層強まります。
ワシントンD.C.では7月25日夜、全米から集まった2000人の宗教指導者を含む約7000人の宗教人たちが「宗教の自由ページェント」(「宗教の自由委員会」主催)を開き、文師の投獄に強く抗議しました。会場のコンスティテューションホールは約3000人の宗教者で埋まり、約4000人が場外にあふれました。
ダンベリーに収監された文師は、脱税容疑の裁判の本質をつかんでいました。
文師はこのように述べています。
「私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました」(天一国経典『真の父母経』、803ページ)
全米の牧師たちが文師と苦しみを同じくする「同苦の会」を結成し、一週間ずつの入監を決意したのです。
文師は、宗教の自由のために神が文師を使っておられること、アメリカの人々の心に霊的覚醒の火をつけようとしておられること、アメリカのキリスト教界の一体化(保守派キリスト教=ジェリー・ファルウェルと、革新派キリスト教=ジョセフ・ローリー)を可能にする道を開こうとしておられることを自覚していました。
文師のダンベリー収監はまさしく、そのとおりの事態を巻き起こすことになります。
全米のキリスト教界が宗教の自由擁護のために立ち上がったのです。
世俗化の沼に落ちていたキリスト教が霊的覚醒を呼び起こし、キリスト教の右と左が文師のもとに一つになる奇跡が起きました。
文師に対するアメリカ政府の迫害と権力濫用は完全に裏目に出たのです。