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レダ摂理 1

(『世界家庭』2016年11月号「レダ摂理(前)」より)

 『世界家庭』に掲載された飯野貞夫さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
 飯野絢子(あやこ)さんの証しに続き、絢子さんの夫であり、サウジアラビア国家メシヤとして活躍した飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)のレダでの歩みを紹介します。(一部、編集部が加筆・修正)

▲飯野貞夫さん・絢子さん夫妻(2011年、レダ)

突然の南米招集に命懸けで応えた日本人国家メシヤ

 1999年7月頃、「日本人国家メシヤは、オリンポ(パラグアイ)で40日修練会を行うので、直ちに集合」という連絡がありました。

 そして81日から、地球の反対側のオリンポで、日本人国家メシヤ40日特別修練会が始まりました。ところが、あまりにも急な連絡であったため、渡航費の準備や日程の調整が間に合いません。とにかく準備できた人から、五月雨式にバラバラ集まっていくという状況でした。

 日本の本部には、修練会現場の小山田秀生先生(ブラジル国家メシヤ、43家庭)を通じて、「国家メシヤは全員、すぐ来るように! お父様は『来ない者は国家メシヤから外す』とまで言われている」と、矢の催促が来ました。交通費や参加費は簡単に用意できる額ではないのですが、それでも皆、必死で工面し、私は何とか1週間遅れで到着。さらに1週間ほどたつうちに、100人近くが集まっていました。

 ほとんど毎朝、真の父母様が直接、訓読会をリードしながら、修練会を主管されました。

完全自己否定を迫られる

 熱気の中で修練会も進み、語られるみ言によって、なぜ私たちが集められたのかが次第に分かるようになっていきました。

 19992月に予定されていた36000万組の祝福を、真の父母様を日本にお迎えして開催し、真の父母様が直接「真の父母宣言」をなして、日本を母の国として立てようとされた重大な摂理を失ったことが、最も大きな近因ですが、それ以外にも多くの理由がありました。

 ドイツの機械工場を失ったこと。ダンベリーのときに選び出されたみ言集『御旨と世界』を「全食口に徹底教育せよ」と願われたにもかかわらず、十分にできなかったこと。民団と朝鮮総連を一つにして韓半島統一の道をつくることができなかったこと。5万・50万復帰の失敗——。このようなさまざまな要因が明らかにされました。

 そして、「…それらを蕩減(とうげん)復帰するために、パンタナール(レダ)開拓をする。古き者たちを代表して日本人国家メシヤが全責任を持って担当せよ。完全に何もないところから蕩減復帰するのだ」ということでした。

 特に私たちは、上記の幾つかの摂理に直接、責任を持って関わっていたのです。

 ちなみにパンタナールとは、南米大陸の中央部に広がる、日本の本州に匹敵するほどの広大な湿地帯です。ブラジル、パラグアイ、ボリビアの3国にまたがっており、レダはその南端に位置しています。

 こうして修練会が進む中で、ついに真のお父様は私たちに重大なみ言を語られました。「全員、残れ! もう国に帰らなくていい。ここで直ちに開拓を出発せよ」と決断を迫られたのです。

 家族の生活、職場、持病の薬など、皆さまざまな事情を抱えていましたが、それらを全て切って捨てよというのです。正に「完全自己否定」を求められたのです。真のお父様のおっしゃることは分かっても、現実問題をどう解決するか、皆、悶々(もんもん)としました。

 私は、「そうか。死んだと思うしかないのか。完全自己否定とは、この境地だったのか」と悟りました。

 しかしながら、決断はしても、電気も水道も店もない、原始生活に戻ったような環境で開拓をしていく現実が待っていました。40度を超える暑さや、毒蛇、毒ぐも、蚊の大群、ヒョウやワニなどの脅威、苛酷(かこく)な自然との闘い。全て、経験したことのない未知の分野なのです。加えて、男ばかりの殺伐とした生活には、何かと衝突も待ち受けています。一日一日、その深刻さに直面しながら、修練会は続いていきました。

 そうこうしているうちに、真のお父様は、「…自分たちで全て作りなさい」と言われ、そのために「南北米福地開発協会」という名称を付けてくださいました。そして、その組織を立ち上げるために、「半分は(レダに)残り、半分は日本に帰って資金を作って、人材を派遣し、必要資材を送れ」とおっしゃいました。

 その結果、現地の担当者が立てられ、日本での支援の実務は、「南北米福地開発協会」の事務局長として私が担当することになりました。そして、レダには15人が開拓メンバーとして残り、他は帰国して支援組織をつくることになったのです。

 例外として、すでに国家メシヤとして任地国に家族で赴任している者は、そのまま宣教活動を継続することが認められましたが、それ以外の者(一人で赴任していた者も含めて)は全員、夫婦ともども、レダ摂理に投入するようにということでした。

 こうして、その年の101日がレダ開拓の出発記念日となりました。

(続く)

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 次回は、「日本からの支援を募るため、現地での情報収集に奔走」をお届けします。