家庭力アップ講座 19
愛が子供に届く3段階(前編)

(APTF『真の家庭』234号[4月]より)

家庭教育アドバイザー 多田 聡夫

愛することで「個性真理体」を確立

 今回は、愛が子供に届く3段階について紹介します。その第1段階は、愛することで「個性真理体」を確立する。第2段階は、「責任分担」の自覚について。第3段階は、「人の為に生きる」喜びを教える、ということです。

 まず第1段階の、「愛することで『個性真理体』を確立する」について学んでみましょう。

 「個性真理体」という言葉は、「個性」と「真理体」の二つの言葉から構成されています。まず「個性」というのは、神様と私たちは、親子ですから、親なる神様は、子供に、世界にたった一つの特別な個性を与えてくださり、その個性を愛してくださっているわけです。ですから、「個性」というのは、私たちの他のどこにもない「独特性」のことです。また、「真理体」というのは、神様が私たちに与えてくださった、誰もが持つ、普遍的に共通するものです。人間には、目があり、口があり、鼻が、同じように顔についています。すなわち、「真理体」というわけです。目や口や鼻の大きさや形や太さなど、同じ人はいません。これが「個性」ということになります。

 私たちは、一人ひとりが、「個性真理体」として神様が愛で育み、認めていただいている尊い大切な神様の子女です。また、神様は家族というものも同じように愛と真理で育んでくださっているわけです。「個性真理体」として確立すると、子供が第一に、自分はここにいるべき存在だ、と感じることが大切です。

 第2に、周りの家族は、自分の存在を喜んでいてくれる、と感じることです。

 第3に、自分の存在が家族に幸福をもたらしている。

 第4に、私は自分が好きだという感覚を持つ。

 第5に、自分を愛してくれる人がいる、という実感が大切になります。

 子供がこのような内容を通して自分の存在を肯定する感覚を育て、子供の心が、安定して、何事にも前向きになり、「個性真理体」として家庭の中に存在できるようになるのです。

 しかし、現実はさまざまな環境の中で、大切な親子の絆が薄くなることによって、多くの子供たちは、心が正常に、素直に働かなくなってしまっているのです。それによって、子供の口から、「めんどくさい」とか、「疲れる」とか、「自分が好きになれない」とか、「忘れた」とか、「苦労したくない」という言葉が多く出てくることが見受けられます。これは、愛の減少感を感じている結果としての表現なのです。つまり、「個性真理体」として認められていないのです。このような言葉を発することで子供としてのメッセージを親たちに送っているのです。

 ひとつの例題を紹介します。26歳の独身の女性に1対1で4日間、講義をしたことがあります。講義をしながらいろいろと話をしましたが、その女性は「めんどくさい」とか「忘れた」、「疲れる」という言葉が多く、なかなか気持ちが前向きにならないのです。3日目は、山にでも登ったらいいのではと提案してみましたが、「疲れるから」と言って受け付けてくれませんでした。しかし本人は、仕事では、残業しても気にならないとのことでした。どうしてなのかを聞いてみたら、お金になるからとのことでした。価値観が、心を中心にしたものから、お金を中心にした考え方に変化しているのではないかと心配になりました。それで、4日目にもう少し家庭のことを聞いてみると、最初は、「忘れた」と言っていましたが、粘り強く聞いていくと、実は母親がいつも妹と比較して、「どうしてそんなに暗いのか」とか「することが遅い」と本人に言っていたというのです。少女の時代に、「個性真理体」として受け止めてくれる環境がなかったのです。そして愛の減少感に敗北してしまっていたのです。その結果、「めんどくさい」とか「疲れた」とか「忘れた」という言葉になっていたのです。

 子供の心はあまりにも繊細なのです。親は、子供が「個性真理体」としての自覚ができるように、環境を整えてあげましょう。

どうしたら愛が子供に届くのか

 では、どうしたら愛が子供に届くのでしょうか。

 第1に、親があるがままの子供自身を受け止めて、愛してあげることが大切です。親が、自分の理想に沿って子供を助けすぎると、親の望む子供というだけになってしまい、「親にとってのいい子」になってしまうのです。

 第2に、自分の願いに応え、欲求を満たしてくれる人がいる。この安心感こそが、子供の人生を支える愛の始まりになります。よく抱いて肌を触れ合うこと、笑顔でやさしく目を見て話しかけること、よく一緒に遊んであげること、無条件にかわいがることが必要です。

 第3に、肯定的な言葉や思いをたくさん与えられた子供は、自分に対して肯定的なイメージをもつことが出来ます。そして、自分を好きになることができるのです。

 第4に、甘えを受け入れることです。子供は大きくなるに従って、どんどん具体的な問題を抱えるようになります。友達からいじめられたとか、先生から叱られたとか、集団生活の難しさを感じたりします。すると家に帰れば、「あのね…」と子供は、親に問題を話そうとします。それは、子供の「甘え」であり、安心感を得たから話そうとするし、心の痛みを癒そうとして話そうとするわけです。またそれが、子供の自立の準備となります。そして、親が「甘え」を受け入れることによって、子供の欲求に応えてあげる必要な心の支えができるようになるのです。「甘え」を受け入れるということも、やはり子供の話を共感するということになるのです。

(次号に続く)