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スマホで立ち読み Vol.35
『家庭と教会学校で育む 子女の心情と信仰』19

座間保裕・著

(光言社・刊『家庭と教会学校で育む 子女の心情と信仰』〈20161031日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第35弾、『家庭と教会学校で育む 子女の心情と信仰』を毎週月曜日(予定)にお届けします。

 本書は長年にわたる子女教育の研究と実践の集大成として、家庭教育での父母の在り方についてまとめられた一冊です。

 第1部はQ&A形式の提言、第2部は第1部の内容についての理論的な解説がまとめられており、実践と理論の両面で学べます。

※本文中の行事名などは、全て掲載当時の名称です。

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第2部 祝福家庭の父母に贈る、子女教育論考

第1章 神様の人間始祖に対する教育に倣う

第5節 良心を立てる神様

 人間始祖のアダムとエバが堕落した時、神様は、「おい、アダム。どうして堕落したんだ!」と彼らを追及はしませんでした。なぜかというと堕落したことは、神様より先に良心が分かっていたので、親なる神様はたたみ掛けてアダムを糾弾しなかったのです。

 子女教育において、これまで父母である私たちが、神様が人間に接するように子女に対して接していなかったことが多くありました。なぜならば子女の良心を立てることの意味が分からなかったからです。

 主体性、自律性を育むに当たり、褒めることや叱ることがあります。このとき、褒める内容は本人も納得するものでなければ効果がありません。口から出まかせではご機嫌とりになってしまい、効果はありません。叱ることは悪を分別することです。分別の仕方を真(まこと)の父母様に見てみると、真のお父様は雷のような勢いで激しく分別します。

 また真のお母様は、「そのようなことをして、あなたらしくないね」と分別されます。相手を尊びながらも、悪いことは悪いと示唆します。ここにはいずれも妥協する余地はありません。ただし、自分の怒りをぶつけることではありません。また、み言(ことば)の訓読や祈祷も良心の力を強くしてくれます。父母は子女が自分で訓読や神様に尋ねるように導くことが重要になります。

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 「スマホで立ち読み」での連載は、今回が最終回となります。ご愛読ありがとうございました。続きは、ぜひ書籍でご覧ください



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