2024.11.29 12:00
女性の立場から見たレダ 1
『世界家庭』に掲載された飯野絢子(あやこ)さんの証しを、毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたってレダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ日本人国家メシヤたちを支えました。そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。
1999年8月1日、南米・パラグアイのオリンポで、日本人国家メシヤ40日修練会がスタートしました。そこに集ったのは真の父母様を含めて14人でしたが、最終的には102人(185か国・185家庭が日本人国家メシヤの数)の参加となりました。
それはくしくも、北米プリマス・ロックに、メイフラワー号に乗ってやってきたピューリタン(ピルグリム・ファーザーズ)102人と同数でした。彼らが上陸したとき、最初は遠巻きに見ていたインディアンたちが次第に寄ってきて、手を差し伸べてくれるようになりました。それと同じように、レダにおいても後々、現地のインディヘナたちから開拓の協力を受けるようになるのです。神様のみ業の不思議を感じます。
私は、男性中心のレダにおける数少ない女性として、また唯一、夫婦で共にいるという意味では父母の立場で、4年間奉仕させていただきました。今回はその内容を中心に、17年に及ぶレダ開拓を振り返りながら、女性の視点で紹介したいと思います。
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南米摂理に真の父母様ご自身が先陣を切って行かざるをえなかった前後の状況は、すでによく知られているところです。背水の陣のご心情で投入なさっていた真の父母様のお姿を、私は1998年に参加したジャルジン(ブラジル)修練会(世界平和と理想家庭のための40日特別修練会)で目の当たりにしています。
修練会全体をリードしておられた小山田秀生先生(ブラジル国家メシヤ、43家庭)は、「真の父母様は今、大変なんだ」という言葉を、幾度となく繰り返しておられました。
私たち夫婦は第3期に参加しました。日韓合わせて総勢2000人を超える修練会となり、日本側の総班長となった夫ともども、事あるごとに真の父母様からお言葉が飛んできましたが、ついに、「どうだ、飯野。南米に来るか!」「はい!」「あんたの奥さんの顔が牛の皮のようになるよ」というやりとりとなりました。そして私の頭にお父様のあの肉厚の右手がドサッと下ろされて、「根を張るんだよ」との一言を頂いたのです。
真の父母様の祝福の祈祷で始まったレダ摂理(前)
レダの摂理は、オリンポでの40日修練会の初日(1999年8月1日)、以下のような真の父母様の祈祷で始まりました。
「長い歴史の期間中、我慢されながら耐えてこられたあなたの心以上のことを考える孝子・孝女、聖子の立場で、夫婦一心して、あなたに侍ることができるように許してくださることをお願い申し上げます」(真のお父様の祈祷)
「ここパンタナール(ブラジル、ボリビア、パラグアイにまたがる大湿地帯)で、あなたが源焦聖地である、永遠なるあなたの本然の理想的家庭を祝福してください。……どうぞ、あなたのみ旨を支え、実践して成功していく、日本の国家メシヤとなるようにお願い申し上げます」(真のお母様の祈祷)
後に真の父母様が定めてくださったレダ摂理に対する名称は、「南北米福地開発協会」であり、そこに込められた、せっぱ詰まった神様のご心情は、オリンポでの40日修練会中、三度(8月1日、9月21日、23日)にわたって吐露されたみ言(緑色)の中に明らかです。このみ言は、ごく一部を除いて全て日本語で語られたものであるため、私たち日本人の心に深く迫ってきます。
真のお父様は、第一次世界巡回路程(1965年)の最中、飛行機でアンデス(南米大陸の西側に連なる世界最大の山脈)上空を越えるときに「この国に主人がいない、南米に主人がいない」という神様の啓示をお受けになったそうです。そこから時を経て、日本にその使命が託されたのです。
「日本の国家メシヤがパンタナールの責任を持ってください。国家メシヤは185か国の王です」
「今、主人がいなくて、荒野のようになっています」
「シャベルで土を掘れ。暑い所で天下一等の労働者になって、汗だくだく、祈りながら、自分の踏んだ所から、無念の神の解放圏をつくってあげる」
「神の国を創らなければならない」
このように真の父母様から祈祷とみ言を受けた日本人国家メシヤたちは、密使のような立場でレダ開拓を出発しました。
(続く)
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次回は、「なぜ日本人の国家メシヤに託さねばならないのか」をお届けします。