2024.11.25 12:00
祝福結婚への準備 1
動画「二世のための祝福結婚講座」をもとに、祝福に向かう具体的な準備やプロセスについて、毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
父母マッチングに取り組む二世やその父母の皆さまにぜひ読んでいただきたい内容です。
※本文中の内容は2020年時点のものです。最新の情報に関しましては、最寄りの教会までお問い合わせください。
(1)祝福の摂理
人類一家族世界への道
1960年の真の父母様の聖婚、そして1968年の「神の日」の制定は、内的にも外的にも神の摂理の大きな勝利となりました。
しかし摂理的な時代背景としては、戦後のキリスト教の失敗による荒野路程の最中であり、「荒野」という名前のごとく迫害が続いていました。
そのような中にあっても、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生、そして韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫人は、一つずつ、確実に神の摂理を進めていかれました。
それは、ひとえに神を中心とした人類一家族世界をつくるための歩みでした。
1966年からはキリスト教の一体化のための超教派運動に取り組み、1968年からは世界の共産化を防ぐための勝共運動を推進しました。
そして1971年には、キリスト教国家であり、世界的舞台であるアメリカに渡り、神の世界的な摂理の完成を目指されました。
とりわけアメリカでの統一運動は、迫害の中でも次第にその波は大きくなり、1976年にはヤンキースタジアムに5万人を集めた大会を成功させ、同じ年に行われたワシントン大会には、30万人を集めるまでに至りました。
祝福と迫害
同時に、祝福の摂理も拡大されていきます。
1960年4月に3組、1961年5月に33組、1962年6月には72組、1963年7月には124組、1968年2月には430組、1970年には777組、1975年には1800組の祝福がなされました。
1970年の777組以降は世界中から参加するようになり、祝福の摂理は世界的に広がっていきました。
このような統一運動の世界化の中で、数多くの迫害がありました。とりわけ大きかったのが1984年7月の文鮮明先生のダンベリー連邦刑務所への収監です。
1981年10月、文先生が脱税の容疑で起訴され、その後有罪が確定してしまいます。これは、明らかな宗教迫害でした。
この時、文先生が国外に出れば服役の必要はありませんでした。しかし、文先生はそうされませんでした。
なぜなら、もしそうしてしまえば、アメリカはメシヤを追い出した国としてサタンから讒訴(ざんそ)され、その讒訴条件によって世界全体が危機に瀕(ひん)してしまうことになるからでした。
文先生はアメリカの罪を蕩減(とうげん)するため、「統一教会本部をダンベリーに移す」と言われながら、堂々と、自らダンベリーに向かわれたのです。
荒野40年路程の勝利
1945年当時のキリスト教の失敗により荒野路程に入りました。
この荒野路程の期間は40年間です。つまり摂理的に見ると、1985年8月が荒野40年路程の完結となる年でした。
文鮮明先生は、米国キリスト教会が歓迎する中でダンベリーから解放され、見事に荒野40年路程を勝利されたのです。
どんなに迫害される環境の中にあっても決して諦めず、常に神と人類の解放を思って行動される文先生の姿に人々が感銘を受け、統一運動はますます燃え上がります。
そして信徒が一丸となって統一運動を推し進め、1985年には荒野40年路程を勝利的に終えたのです。
1985年8月20日、文先生がダンベリー連邦刑務所から解放されたその日の夜に行われた「神と自由のバンケット」には、ユダヤ教のラビやキリスト教の牧師ら、1700人もの宗教指導者が参加し、そこにおいて文先生と宗教の代表者が一つになる場面は、まさに荒野路程の終結にふさわしいといえるものでした。
そして荒野路程の終結から、本来歩むべき7年を歩み切った1992年8月24日、文鮮明先生と韓鶴子夫人は「真の父母宣布」を満天下に宣言されたのです。
この宣布によって祝福の摂理はさらに大きく、世界に広がっていきました。
今では毎年のように行われる祝福式も、そこに至るまでにはこのような背景があったのです。
それはどこまでも、真の父母として立った文先生と韓夫人の勝利によるものだったのです。
真の父母によって開かれた祝福
最後に、文鮮明先生と韓鶴子夫人が開いた「祝福結婚」、そして「霊肉共の重生の摂理」についてまとめてみたいと思います。
文先生と韓夫人のその全生涯路程は、まさに人類の真の父母として万民を救うための生涯でした。
その生涯は、まず自身が神の愛を中心とした結婚の伝統を打ち立てるところから始まります。
これにより、人間始祖アダムとエバの堕落、すなわち、男女間のサタンを中心とした偽りの愛と結婚によって神の愛の主管圏から離れた人類が、再び本然の神を中心とする男女の愛と結婚によって神の愛の主管圏に至る道が開かれたのです。
本来ならば、この使命は2000年前のイエスに託されたものでした。しかしそれがかなわなかったイエスは、自ら十字架にかかることで、神と人類の前に絶対的信仰と愛を見せました。それによってイエスは霊的に復活し、イエスを信じるその信仰によって人類が霊的に救われる道が示されたのです。
しかしそれは完全な救いではありませんでした。再臨のメシヤであり、真の父母である文鮮明先生と韓鶴子夫人のお二人が、イエスが果たせなかった霊肉共の救いを勝利されたのです。
お二人が開いた結婚によって神の愛の主管圏に至る道を、私たちは「祝福」と呼びます。そして神の愛と生命と血統は、「祝福式」によって相続されるのです。
かつて祝福式は、常に真の父母様の家庭に愛と生命と血統が宿った時に行われました。
具体的に言えば、真の母である韓夫人のお腹の中に生命が宿った時、すなわち真の父母様に愛と生命と血統の種が宿った時に、その真の父母様の愛と生命と血統を、祝福にあずかる者が共に受けるという立場で行われたのが祝福式だったのです。
真の父母と祝福家庭
既に述べたように、神の愛・生命・血統を出発させる一組の父母のことを「真の父母」と呼び、そこから真の愛と生命と血統を共に受け継いだ家庭のことを「祝福家庭」と呼びます。
そのように考えると、真の家庭となるべき私たち祝福家庭は、真の父母様の生涯の結実であり、神の理想の出発点といえるのです。
真の父母、すなわち文鮮明先生と韓鶴子夫人が見せてくださった「愛」の本質は、決してマイホーム主義的な、自分たちだけ、自分の家庭だけのための愛ではありませんでした。
普通、妻は夫に対して限りなく愛情を求めるでしょう。もし夫が自分よりも神を愛し、み旨を愛し、人類を愛し、世界を愛したなら、妻にとって神が怨讐(おんしゅう)となり、人類が怨讐となることもあり得るのです。
しかし韓夫人は、文先生が愛する神を愛し、人類を愛し、世界を愛されました。それは誰よりも文先生を愛されていたからです。
真の父母の愛は、天が私たちに相続させたかった愛でした。そしてそこから生まれてくる生命と血統は、祝福家庭である私たちに相続させたかった創造本然の生命と血統なのです。
祝福子女の価値
今までの罪悪歴史における結婚は神にとって怨讐ともいえる内容でした。そこから生まれてくる生命も本来、神が願われるものではありませんでした。
罪の中で生まれ、罪の中に生き、罪の中で死んでいく生命を、神は救おうとされ、悲しみの涙をもってかき抱くことしかできなかったのです。しかし真の父母様の勝利により、祝福結婚は神の喜びとなりました。
二世とは、祝福子女とは、そうした神の愛と生命と血統から生を得た存在をいいます。
二世の生命が出発するには、その背景に数多くの犠牲があり、それを超えた真の父母様の勝利があり、何よりも神の喜びがあるのです。
ところで私たち二世、祝福子女は、そうではない周りの人たちと、一体何が異なり、何が優れているのでしょうか?
頭が良いことでしょうか? 運動神経が優れていることでしょうか? それとも芸術的なセンスがあることでしょうか?
実はそういったことではありません。
ただ一つ、私たちの生命の背後には、神の本然の喜びがあった、まさにそこに違いがあるのです。そしてそれこそが人類歴史が切に求めてきた答えなのです。
そんな私たちが次の世代にどのような愛と生命と血統をつないでいくのか。
今後の祝福の歴史は、私たち一人一人がつくっていくのです。
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