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誤解されたイエスの福音 1

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。

野村健二・著

(光言社・刊『誤解されたイエスの福音』〈2011111日初版第1刷発行〉より)

はじめに

 パウロはイエスの十字架の贖罪(しょくざい)を信ずることによって、いかなる罪人(つみびと)も例外なく救われるとして、ユダヤ人以外の異邦人をも広く感化し、キリスト教の布教に絶大な成果をもたらしました。その意味では最大の功労者と言えます。

 しかし、パウロが説くように、イエスは初めから十字架にかかることによって、律法の一部さえ守ることもできない罪人を、あがない、赦(ゆる)すために来られたのでしょうか。これは、神が願われたイエスの当初の目的を最終的に実現しようとする再臨の時期に当たっては、解決されるべき根本問題です。

 パウロは確かに3次にわたる大伝道旅行を企て、使徒行伝に記載されているだけでも、信じがたいほどの多数の箇所に及んでいます。

 第1次伝道旅行──アンテオケ(131)、セルキヤ、クプロのサラミスとパポス、パンフリヤのペルガ、ピシデヤのアンテオケ(1314)、イコニオム、ルカオニアの町々、ルステラ、デルベ、パンフリヤからアタリヤ(1425)など。

 第2次伝道旅行──シリヤ、キリキヤ(1541)デルベ、ルステラ、フルギヤ・ガラテヤ地方、ムシヤ、トロアス、サモトラケ、ネアポリス、ピリピ(1612)、アムピポリス、アポロニア、テサロニケ(171)、ベレヤ(1710)、アテネ(1716)、コリント(181)、ケンクレヤ、エペソ、カイザリヤ、エルサレム。

 第3次伝道旅行──ガラテヤ、フルギヤ地方を経てエペソ(191)に3年間滞在、マケドニヤ地方からコリント、引き返してマケドニヤ地方(テサロニケ、ピリポ)からエルサレム(2117)。

 その間、投獄やむち打ち、死に直面し、「ユダヤ人から40に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、……一昼夜、海の上を漂(ただよ)い……幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、……たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(コリントⅡ112427)と、多くの苦難に遭っています。

 パウロがこのような多くの苦難に遭いながら、そのすべてに耐え、克服し、異邦人伝道に大成功を収めたということは大変な功績であると思われますが、もしその伝道の内容が不適切なものを含んでいたとすれば、多くの信者を獲得したことはよいとして、神の最後の総決算であるイエスの再臨の時に当たっては、その間違いをはっきりと指摘して改めなければ、せっかく集まって来た人々を神とイエスが意図される天国に正しく導くことができないという深刻な問題に直面することになります。

 そこで、旧約、新約聖書の全般、特にイエスご自身の自己証言と照らし合わせることによって、神がイエスに託された本来の使命(=イエス再臨の目的)を明らかにし、パウロがイエスの使命を果たしてすべて正しく捉えていたのかどうか、もし正しくないところがあるとすれば、どう捉え直すのが神とイエスの真意に合致するものであるかを、この本で明確にしようと思います。

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 次回は、「『省略されたイエス像』をつくり出したパウロ」をお届けします。


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