2024.10.17 22:00
【テキスト版】
そうだったのか!統一原理
第13回 罪の起源
めい:
皆さん、こんにちは。
「そうだったのか!統一原理」へようこそ。
ナビゲーターの「めい」です。
きょうも皆さんと一緒に、統一原理を参考にしながら、幸福な人生はどのようにしたら得られるかについて考えていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
はると:
こんにちは、皆さんと一緒に統一原理を学ぶ、「はると」です。
よろしくお願いします。
めい:
はると君、聖書は読んだことある?
はると:
はい、めいさん。
部分的に読んだことあります。
めい:
はると君、聖書はね、世界中の人々に最も大きな影響を与えた書物だといわれているの。
はると:
そうなんですね。
めい:
その聖書の中に罪の起源に関するお話が出てくるの。
はると:
あっ、聞いたことあります!
「失楽園の物語」ですよね?
めい:
そうそう、「失楽園の物語」よ。
最初に、その内容を要約して紹介してみようかな。
神は「エデンの園」をつくられ、その中央に「生命(いのち)の木」と「善悪を知る木」という二本の木を生えさせたの。
神は男性であるアダムと女性であるエバを創造されたわ。
そして神は二人に「三大祝福」のみ言(ことば)と、「…善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記 第2章17節)という戒めを与えたの。
はると:
三大祝福のみ言って、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。…すべての生き物とを治めよ」(創世記 第1章28節)というみ言ですね?
めい:
はると君、よく覚えているわね、偉い!
前回まで、何回かにわたって三大祝福については学んだわね。
では、エデンの園でのお話を続けましょうね。
神は「取って食べてはならない」(創世記 第2章17節)と言ったのに、そこに一匹のヘビが現れて、エバに「決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」(創世記 第3章4~5節)と正反対のことを言ったの。
エバはヘビの誘惑に乗って取って食べてしまった。
さらにアダムを誘って彼にも食べさせたの。
神は人を追い出し、二人はエデンの園から出ていくことになった。
それで「失楽園の物語」というの。
はると:
なるほど。
楽園を失ったので、失楽園なんですね。
めい:
この「善悪を知る木の実を食べたこと」が「罪」となって人間は堕落し、それが原因となって今日の人類もその子孫であるが故にその罪を受け継ぎ苦しみを受けているというの。
これが罪の始まりになったということなの。
これを「原罪」というのよ。
これが、悪が生じるようになってしまった悪の始まりについてのお話よ。
はると君、どうかしら?
はると:
う~ん、科学の発達した現代に、これをそのまま事実として受け入れるにはちょっとハードルが高いかもしれません。
めい:
でもね。統一原理の「堕落論」が聖書の失楽園の物語の中に、人類にとって重大なメッセージが秘められていることを解き明かした点は注目すべきことなの。
ところで、はると君。
エデンの園の中央にあった2本の木とその実について気にならない?
はると:
確かに気になります!
めい:
次は、問題となった「善悪を知る木」の実について考えてみようかしら。
これは文字どおり、リンゴか何かの実のことなのかしら?
もしそうなら、腑(ふ)に落ちない点が
いくつか出てくるわね。
はると:
そうですね。
僕の思ったことを言っていいですか?
めい:
ええ、いいわ、はると君。
どうぞ、話してみて。
はると:
めいさん、ありがとうございます。
創造原理で、神は親であると学びました。
子供が食べたら死んでしまうような食べ物を親である神が、手の届く場所に置いておくでしょうか?
親が「食べたら死ぬよ」と言ったのに、子供が食べて死んでしまった、というのでは
とても親の愛を感じられません。
それから、「食べた」ことが原因でそれが子孫代々に「遺伝」することがあり得るのでしょうか?
悪い物を食べて死ぬ人はいると思うけど、それが子孫にまで影響することはないと思うんです。
めい:
そうね、はると君。
とてもいい指摘だわ。
だからこれは、いわゆる「食べ物」の話ではないといえそうね。
飢えてもいない人が、死ぬと知りながら危険な物をあえて食べるかしら?
これは、「死を覚悟して食べた」ということを言っているのね。
その実は、死を越えさせるほどの魅力を持ったものだったといえるわね。
はると:
めいさん、分かりました!
ここに記されている「木の実」は、何かを比喩しているものなのですね?
あるいは何かを象徴したものだとか…。
めい:
はると君、すごいじゃない。
きょうもさえているわね。
そうなの。
失楽園の物語に登場するものは、何かを比喩し、何かを象徴しているものなの。
アダムとエバが取って食べてしまった木の実は、善悪を知る木になっていた実なのだけれど、善悪を知る木は聖書の中では、ここにしか出てこないの。
でも、その隣に生えていた「生命の木」に関する記述は、聖書の中にいくつもあるのよ、はると君。
「生命の木」について引用してみるわね。
「願いがかなうときは、命の木を得たようだ」(箴言 第13章12節)
「正しい者の結ぶ実は命の木である」(箴言 第11章30節)といった記述があるわ。
はると君、これらの聖句から、生命の木にはどんな意味があったと思う?
はると:
そうですねえ。
何か、人々の願望であり、人間が求める理想の姿を表しているように感じます。
めい:
そうね。そのとおりよ、はると君。
つまり、生命の木はアダムが完成した姿のビジョン、完成像を示していたというの。
そしてその隣にあった善悪を知る木は、エバが完成した姿のビジョン、完成像を示していたということなの。
はると:
なるほど、確かに。
そうだとすれば、創造原理で学んだ人間の価値や男性と女性の位置付けと符合しますね、めいさん。
めい:
はると君、よく理解できたわね。素晴らしいわ。
次回は、失楽園の物語に登場した重要な存在ヘビについて考えてみましょうね。
はると:
はい、めいさん!
なんか謎解きみたいでワクワクしてきました。次回も楽しみです!
めい:
皆さん、いかがでしたか?
「そうだったのか!統一原理」
今回はこの辺で。次回もお楽しみに!
ではまた、お会いしましょう!