https://www.kogensha.jp/shop/list.php?search%5Bform%5D=1&search%5Bsort%5D=&search%5Blimit%5D=10&search%5Bq%5D=2025%E7%89%B9%E5%88%A5%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB&search%5Bname%5D=&search%5Bauthor%5D=&search%5Bpublisher%5D=&search%5Bcategory%5D=&search%5Bcategory2%5D=&search%5Brelease%5D=&search%5Bprice%5D=

日本を愛した文先生の足跡 15
松濤

(光言社『グラフ新天地』401号[2001年12月号]「日本を愛される文先生の足跡」より)

 8月20日に迎えた「文鮮明(ムン・ソンミョン)天地人真の父母天宙聖和」12周年を記念して、毎週火曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

南平台から松

 本部教会が渋谷区南平台から松濤に移転されたのは、1965年8月23日でした。以後、70年代にかけて、文鮮明先生はたびたび日本を訪問され、松濤の本部教会に足を運ばれました。

▲82年に現在の建物に建て替わる前の旧本部教会(渋谷区松濤)

 初めて訪問されたのは、65年9月29日のことです。南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、東南アジア、香港、中華民国など世界を巡回された後、日本に立ち寄られたのです。

 本部教会の礼拝堂では「世界路程御帰還歓迎式典」が行われ、文先生は「人類愛に燃えたたしめ、いかなるところにも我が身を犠牲にして我は行く、そういう人が、そういう動きが必要な世界を切々と感じました」と語られました。

 その後も聖日礼拝や和動会で多くのみ言を語られています。

文先生から日本の教会員たちに手紙

 67年6月12日には、初めて文先生ご夫妻そろっての来日となりました。6月17日から30日までは、教理解説書『原理講論』に基づく原理大修練会が開かれ、全国から105人が参加しました。文先生は開講式で講義に臨む姿勢を話され、講義の途中や後にも、さまざまなみ言を語られました。続いて7月3日から6日にかけては第2次原理修練会が行われました。

▲原理大修練会で参加者にみ言を語られる文先生(1967年6月18日)

 69年、文先生ご夫妻は、第2次世界巡回路程において、欧米で21組の祝福をされた後、4月18日に来日され、5月1日に本部教会で22組の祝福をされました。

▲22組の祝福式後、お祝いの宴をもたれる文先生ご夫妻(1969年5月1日)

 世界路程に同行した久保木修己会長(当時)は、「アメリカを出発する朝のあわただしい時でありました。…先生はお部屋から出て来られて、『今朝は神川村の兄弟からたくさんの手紙があったよ。先生、読むのに3時間かかっちゃった』と目を真っ赤にしておられるのを見たのであります」と述べています。

 巡回路程中、文先生は日本からの手紙を読むばかりでなく、時間をみつけては日本の教会員に手紙を書かれたのでした。

 また文先生は73年11月23日、岸信介(のぶすけ)元首相と会見され、長時間にわたり、意見の交換をされました。

▲本部から出発される文先生ご夫妻(1973年11月)

▲本部教会で岸信介元首相と会談される文先生(1973年11月23日)

▲教会員にみ言を語られる文先生(1974年2月)

(参考/『日本統一運動史』)

---

 「日本を愛した文先生の足跡」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました