2024.09.23 12:00
私の心の中にいる神様 28
良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
毎週月曜日に配信予定です。
初出は2020年に配信されたものです。
自分の“上から目線”が問題だった
私は教会で、いろいろな人の相談を受ける立場にいます。
ある平日、夜8時に、やや遠方にあるお宅に伺って、そこのご主人と話をすることになりました。
電車とバスを乗り継いで、約束どおり午後8時に行きました。ところが8時半になって「遅れます」と連絡があり、その8時半になったら、今度は「きょうはお会いできません」と言ってきたのです。
そこで「心の目で見る」ワークができればよかったのですが、全く心の余裕がありませんでした。「そもそも無理なことは分かっていたのではないか。なぜもっと早く連絡をくれないのか。こちらも忙しい時間をやりくりして来たのに」と、相手を責める思いでいっぱいになってしまったのです。
家に帰って夫にその思いをぶつけました。私は「自分が正しくて相手が間違っている」と自信満々でした。
ところが夫は、「仕事で手がふさがっていると、返事すらできないこともあるんだよ」と言うのです。
「そういうものかな」と半信半疑のまま、次の日は夜9時半に約束しました。「今度は絶対に会う」と半分、意地でした。
その夜、ようやく会えたご主人が、「昨日は、帰ろうと思ったら突然、上司の話が始まって、メールを短く打つしかなくて、満足に連絡もできなかったんです」と申し訳なさそうに説明されました。夫が話してくれたままの事情だったのです。
そんなこととはつゆ知らず、妄想に囚(とら)われて一方的に責める気持ちになっていたことを、私は深く反省しました。
私は遅ればせながら、「心の目で見る」ワークに取り組み、「真の愛を中心として正しく見させてください」と唱えながら、どうして一方的に相手を責めてしまったのかと、良心に尋ねてみました。
すると、「この人が抱える問題を私が解決してあげよう」という、上から目線の傲慢(ごうまん)な気持ちが心の根底にあったことに気付かされたのです。
「自己牧会プログラム」では、「嫌な気持ちが湧いてきたときは、捨てるべき固定観念があることを良心が教えてくれている」と説いていますが、本当にそのとおりだと思いました。思いどおりにならないときこそ、深い気付きがあることを実感しています。
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次回は、「息子に働く神様に導かれる」をお届けします。