2024.05.17 22:00
【テキスト版】
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第188回 欧米諸国で信教の自由が確立された背景を教えてください
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「欧米諸国で信教の自由が確立された背景を教えてください」という質問に対してお答えします。
信教の自由が人類史上、初めて成文化されたのが1791年11月3日、米国で制定された「憲法修正第一条」でした。
これは、信教の自由を語る上で絶対に欠かせないものです。
「憲法修正第一条」は、国家と教会の分離を規定したものです。
簡潔に言えば、次の2点になります。
第1点は、国家は特定の宗教を公認してはならないということです。
もし特定の宗教だけを公認すれば、非公認の宗教は弾圧の対象となる可能性があります。特に、少数派の権利を守るためには必要です。
第2点は、国家は、宗教上の礼拝、言論や出版の自由などを禁じたり、人民が平穏に集会する権利を侵害したりする法律を定めてはならないとするものです。
この「憲法修正第一条」が制定されるようになった背景には、思想・言論・結社などの自由を巡って、カトリック教会、イギリス国教会、プロテスタント教会が互いに排斥し、弾圧し合い、親族間でも信仰問題を巡って争い合うという悲劇が起きたからでした。
そのような歴史的悲劇を二度と繰り返してはならないという深い反省がその動機にあります。
例えば、ピューリタン(清教徒)が胎動し始めた16~17世紀のイギリスでは、「首長令」を出したヘンリー8世以降、王位継承争いに信仰問題が関わり、王室内で王族らを中心に、「カトリックかプロテスタントか中道の国教会か」を巡って各陣営が火花を散らす争いとなり、凄惨(せいさん)な虐殺事件も起こりました。
ヨーロッパ大陸を見ると、ドイツにおいてカトリックとプロテスタントによる「三十年戦争」で多数の国民が犠牲になり、人口が約1600万から600万人にまで減少したといいます。
フランスでは、カルヴァン派プロテスタントであるユグノーとカトリック教徒との間で行われた「ユグノー戦争」が、1562年から1598年までの36年間にわたり続けられました。
正統異端論争に伴った宗教弾圧によって行き場を失った人々は、信教の自由を求めてスイスやオランダ、イギリスなどに亡命しました。
しかしその地も、彼らにとって安住の地ではありませんでした。やがてそれらの人々の中から新大陸アメリカへ移住し始めるグループが現れました。
その代表が、メイフラワー号に乗ったピルグリムファーザーズです。
それ以外にも、続々とヨーロッパ各地から、信教の自由を求めて米国に渡った集団があり、さまざまな宗派の人が移住し、米国は宗教のるつぼと化していきました。
ところが、米国でも悲しむべき事件が起こりました。それが17世紀の「セイラムの魔女狩り」です。
最も激しかった1692年には、3カ月間で20人の人間と2匹の犬が魔女として処刑されました。(参照:曽根暁彦著『アメリカ教会史』日本基督教団出版局、69ページ)
このように、思想・信教の違いによって争い合うことがないよう、少数派の権利を守るために定めたのが「憲法修正第一条」でした。
私たちは過去の歴史を学んで、同じような悲劇が二度と繰り返されることがないようにしなければなりません。
たとえ親族間であっても、信教の自由を尊重することが肝要なのです。